10分で完全解説!映画『スリービルボード』の真意と犯人を考察する!?【あらすじ感想ネタバレ】
こんちくわ!Shygonです!
今回は各映画祭で絶賛の嵐
スリービルボード
を熱く語りたいと思います!
僕はここで断言しますこの映画「スリービルボード」は間違いなく2018年ベスト映画であり、僕の中で、数少ない何回も見たくなる映画の一本です。
好きなんですよ!!
このような人間の思惑や心情が入り乱れ、話が展開していく映画を。
見てて迫力を感じたり、映像美があるような映画ではなく、人々の普遍的な生活の一部を切り取ったような映画です。
なので、ぜひ見てほしい。
僕が太鼓判を押す映画、それが「スリービルボード」です。
本作はど田舎を舞台にある1人の女性が大胆な看板を建てたことで、事態思わぬ方向へ向かうのです。それは誰も予想だにしない出来事の連続でした。
サクッとあらすじ
舞台はアメリカミズーリ州田舎町エビング。
数ヶ月前に娘をレイプで亡くなり、未だに犯人逮捕に至ってない警察に腹を立てたあるお母さんが挑発的な3つの看板を建てたとことが、警察を怒らせてしまう。
全く屈服しない彼女のやりようは度肝を向いたものへと変わっていき、誰も止められなくなってしまう。
ただのひとりの女性の思いつきが一般市民だけでなく警察までも巻き込む大事態へと発展するのであった。
「スリービルボード」はなぜ3つの看板なのか?
本作は日本公開時に「スリービルボード」として改題され劇場公開されました。なので、原題は
Three Billboards Outside Ebbing, Missouri
という題です。
語尾の2字はミズーリ州エビングというアメリカの地名の名前で、はじめの3字は道路脇の3つの看板という意味です。
本作は主人公ミルドレッドは娘が殺されたことを悔やみ、町の入り口に大きくそそり立つ3つの看板に警察の対応の悪さを訴える広告を出すことから始まります。
エビングはとうの昔に廃れ、町の入り口に大きな3つの看板だけがぽつんと残っている状態でした。
繁栄期にその3つの看板は町の象徴的存在だっただろうですが、いまはその面影すら見えません。
そんな町を象徴する大きな3つの看板を由来としてこの映画の題名は名付けられました。しかし、実はこの3つの看板という題名
ただ看板が3つあるからではない
ココが本作の重要なポイントです。
3つの人物にスポットを当てて進行していく
本作の主人公は誰と言われると、わかりません。
はじめはミルドレッドというレイプで娘が殺された母親の話なのですが、徐々に新たな人物が物語の舵を切っていくようになります。少しするとカメラはまた別の人物を追うようになるのです。
境目の個所で故意にテロップを入れて主人公を変えていくのではなく、見ているといつの間にかに観客は別の人物を追っていたという非常に奇妙な状況が毎回出来上がります。
はじめにミルドレッドを主人公として捉え、追っていたとき端役に過ぎないと思っていた人がいきなり主人公になる、こんな巧妙なトリックはたまりませんよ!!!
具体的にその3人は誰なのか
キャラクターの魅力については次章に語ります。
3人の大きな看板を背負うキャラクターたち
(ネタバレが含まれます。)
主要3人のキャラクターについて触れておきます!
①ミルドレッド(フランシス・マクド―マンド)
7か月前に何者かにレイプされ殺害された娘の母親。
いまだに解決できていない警察に腹を立て、
1枚目には
「私の娘はレイプで焼き殺された。」
2枚目には
「犯人はいまだに捕まっていない」
3枚目には
「警察長はなにをしているんだい?」
と訴えかけるのです。
回想シーンなどを踏まえて、いかにこの母親が娘を愛していたかがよくわかり、心を痛むのです。観客は娘が殺された母親に感情移入するのです。
②ビル(ウディ・ハレルソン)
エビングの警察長。2人の娘に恵まれ、家族4人で仲良く暮らします。
しかし、ミルドレッドの挑発に腹を立て、広告を取り下げるよう直談判しにいくが失敗に終わります。
彼には急ぐ理由があったにもかかわらず、決して誰にも打ち明けることもなく自分一人で全て抱え込んでいたのでした。彼は重度のガンに犯されていたのです。
そんな難しい役柄を「ハンソロ スターウォーズ ストーリー」やNetflix映画「ザテキサスレンジャーズ 」やウディ・ハレルソンが演じます。
③ディクソン(サム・ロックウェル)
この人は全編通じてアホが丸出しな警官です
そのうえ差別主義者で黒人を名指しして差別用語をいうような人です。暴力的で後先考えず、行動してしまうため後々大問題を引き起こすのです。
サム・ロックウェルは、本作でアカデミー助演賞を受賞し、他にもディックチェイニーの伝記ドラマ「バイス」でブッシュ元大統領を演じました。
ストーリーを徹底的に語る!
ここからは本作の構成ぽく、謎を紐解いていきましょう。
本作は3部構成で以下のようになっています。
- ミルドレッドパート
- ビルパート
- ディクソンパート
ミルドレッドが主人公で物語の冒頭部分から語っていきます!
なぜこんな分け方をするのか、それは最後までお読みになるとわかるでしょう。
ミルドレッドの物語
娘をレイプされ殺された母親ミルドレッドの奇行が坦々と描かれます。
娘を失った苦しみは理解できるが、あの看板は倫理的に良くないと神父が忠告にくるも、跳ね返し、クレームを入れに来た歯医者には復讐として徹底的に攻撃します。
彼女のドが過ぎた行動にまわりがあたふたする様子がはじめのパートで描かれ、彼女のすること全てに警察は悩みます。
次はビルに徐々に焦点が当てられ、ミルドレッドに変わって物語の語り手になります。
ビルの物語
ミルドレッドの行動に歯止めがきかなくなる頃、ビルはついにガンで倒れます。
一回立ち直ったが、最後は拳銃で自らの生涯を閉じてしまいます、最愛の娘と妻を残して。彼の死に際の演技には迫力があり、見ているものは涙するでしょう。
それくらい本作の中でも重要なシーンであり、感動を呼ぶシーンでもあるのです。
町のみんなから慕われ信頼を得ていた所長の死は町民には痛すぎるダメージで、特に他の同僚は泣き崩れるのでした。
彼は死ぬ前、妻、警察たち、そしてミルドレッドに手紙を残していたのです。それを貪るかのように、涙しながら読むのでした。
それらの手紙は亡くなった後、ナレーションとしてビルが読み上げるのは圧巻なシーンです。
そんなことがあろうと一切意識を変えようとしないミルドレッドでしたが、ディクソンは違っていました。
こうして、最終章の主人公ディクソンへとバトンは受け継がれていくのです。
ディクソンの物語
ディクソンというキャラを頭が悪いなあと思うシーンが本編通じてよく出てきます。さらに暴力的で差別主義者でもあるためどこも好きになるところがありません。
こういうキャラは映画の中では常に嫌われ、敵役に存在する場合が多いですよね
結局ビルが自殺したことで自信も自暴自棄になり、警官の立場ながらミルドレッドの看板を請け負っていた会社の社長に殴り込みにいき、2階から突き落とし暴れまわるのです。
もうメチャクチャです。
当然ながら警官をクビになってしまいます。しかしここから事態は再び思わぬ方向に変わっていくのです。
ビルが亡くなる前、ディクソンにも手紙がありそれを読むため深夜の警察署にいくのです。
ここでヤツが行動するのです。
本作のトラブルメーカー・ミルドレッドです。
完全な偶然なのですが、怒りが収まらない彼女は警察署に火を点けたのです。警察署の中にいたディクソンはかなりの火傷を負い、後遺症が残るまでひどいものでした。
エンディング
火傷を負ったディクソンは病院に送られ、ある光景を目の当たりにします。
横の病室にいたのは自分がボコボコにした看板屋の社長であり、自分と同じように包帯でぐるぐる巻きになっていたのです。
目の前の人にされたにも関わらず、彼は自分にオレンジジュースを与えたのです。そんな彼を前にディクソンはいままでの行動を悔いるかのように、泣き崩れるのです。
後日、職なく後遺症で苦しむディクソンはバーに行きます。そこでも彼は他の人に喧嘩を売り、返り討ちにあいボコボコにされます。
実はこの後に衝撃のラストがあるのですが、その前に本作が僕ら観客に訴えかけている本質を探っていきたいと思います。
「スリービルボード」が各方面で大絶賛された理由とは!?
ゴールデングローブ賞では最多3部門を獲得し、90回アカデミー賞では、主演女優賞と助演男優賞をとりました。
ではなぜ四方八方から絶賛の嵐なのでしょうか。
はじめに単純に理由なく映画として楽しめます。見ていて次になにが起こるのだろうという
予測が極めて困難な映画です。
観客として次はこうなるであろうという大体の予測が数分後には全く違う方向へと向かっているのです。そのすぐ後にはまた予測も付かない方向へ動かされるのです。
次のシーンの展開が全く予想ができない
というのが本作の魅力のひとつです。
そして本作最大のテーマが最大の魅力になっています。
人間は見た目や中身は簡単にはわからない
そして、先入観などはいとも簡単に崩されてしまうもの。
ということが本作の全てであると思います。
物語が進んでいくうちに
キャラクターへの先入観が見事にひっくり返るのです。
観客としてこの映画を分析すると
ミルドレッドはレイプで娘を殺され、かわいそうな母親ということもあり観客は彼女目線で映画を捉えようとしまう。でも彼女の行き過ぎた行動に徐々に観客は距離置くようになったでしょう。
ビルは町の警察長としてみんなからの信頼がありますが、一つのレイプ事件を解決できないことからあまりいい印象ではありません。しかし、彼が自殺する前後から彼に対する感情は180度ガラっと変わります。
そして、問題児ディクソンです。
彼は差別主義者なうえ暴力的なので誰も彼の肩など持ちません。警察をクビになったあと、放火に会い火傷まで負いますが特に彼に感情などありません。
しかし、最後のバーでの喧嘩には理由がしっかりあったのです。ひとりでお酒を嗜んでいると、後ろの席から聞き覚えのある話が飛び込んできます。
ミルドレッドの娘が殺されたときに近いような話をしていたので、なんとしても捕まえてやろうと、そいつのDNAを得るためわざと挑発したのです。
顔が後遺症でぐちゃぐちゃなうえ、さらにボコボコにされる彼は正直耐えられませんが、必死にクソ野郎は踏ん張ったのです。
結局そのDNAは検査の結果犯人とは一致していませんでした。その事件当時その男はイラクに従軍していてアメリカ国内にいなかったのです。
ミルドレッドにそれを話したディクソンですが、二人は納得できず復讐にいくことを決意します。
そして車の中でミルドレッドはディクソンに警察を放火したのは私であるといままで決して自分の非を認めなかった女が白状したのです。
Who the fuck else would have done this?
(お前以外の誰がやるんだ?)
とディクソンは言い返し映画の幕が閉じます。
この華麗な返しは個人的に一番すきな言葉ですが、ディクソンの性格を同時に垣間見ることできます。
ここで映画の幕が閉じるためその後どうなったかは誰にも分りませんが、彼らがわざわざアイダホ州まで行くのは無駄足であったと推測します。
事件が起きたときはその男は国外にいたので、2人は単に人を殺しにいったように思えるのです。
そんな空回りさえもあのふたりの行動なので、面白く思えるわけです。差別主義者で暴力的なディクソンでさえも映画が終わってみると愛情が謎にわいてきます。
最後に
看板はなにかを宣伝するために使われます。
しかし、誰もその看板の裏を見ようとは思いません。まさに人間は看板のようなものだ、と比喩的な表現を看板に置き換えるとできるのです。
そして、3つの看板はもちろんあの3人であり、
やっとここで「スリービルボード」の真意を理解することができたのではないでしょうか。
そして、本作は性差別などいま世界中で問題になっていることへの静かな怒りを表明しています。こんな静かな怒りほど怖く思えたことがないくらい本作の影響力を僕は受けています。
びぇ!
映画「グレイテストショーマン」 感想ネタバレ 実在した男の半生を描く最高のミュージカル傑作
こんちくわ!Shygonです!
今回は2018年最高と称されるミュージカル映画
グレイテストショーマン
を熱く語りたいと思います。
2017年製作の本作は19世紀に活躍した興行師P.T.バーナムの半生が描かれています。
19世紀アメリカ東部に生まれた彼は事業の失敗から興行師のキャリアがはじまり「Barnum’s circle」は実際にゾウなどの動物をはじめ大掛かりな規模で人々を魅了し、当時「地上最大」などと称されるほど大成功した劇団でした。
ミュージカルの醍醐味、豪華な俳優!!
近年多くのミュージカル映画が興行・批評が失敗に終わる中、2017年のアカデミー賞を沸かせたミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」はミュージカル映画の復活として脚光を浴びました。
そして、本作も正統派ミュージカル映画として評価は高く、日本では興行収入が累計50億円を記録するなど大ヒットしました。
「レ・ミゼラブル」で主人公のバルジャンを演じたヒュー・ジャックマンが本作でも主人公を演じました。
「X-MEN」のウルヴァリン役を長年演じ、前作「ローガン」では見事なアクションを魅せるかたわら、ミュージカルの舞台に立つなど多種多様に活躍を見せています。
そんな実力を世界的に認められているヒュー・ジャックマンの新作ミュージカルは安定の良作といったところでしょうミュージカルというと俳優陣の演技の質だけだけではなく、歌唱力も作品の出来を左右する大きな要素になります。
主演のヒュー・ジャックマンをはじめ、本作では多くの実力俳優が集まっています。
彼のビジネスパートナーとして「ハイスクール・ミュージカル」などでおなじみのザック・エフロンや、歌手としても活躍するゼンデイヤなどの歌唱シーンは最高です。
そして、ミシェル・ウィリアムス(マンチェスター・バイ・ザ・シー)やレベッカ・ファガーソン(「ミッション・インポッシブル フォールアウト」)も出演しています。
ミュージカルの醍醐味、豪華な楽曲!!
本作は前年アカデミー賞を沸かせたミュージカル「ラ・ラ・ランド」の作曲家が手掛けたことでも知られています。
冒頭シーンではヒュー・ジャックマンのセクシーボイスとともに
「The Greatest Showman」
が流れ始めます。ここで最高のショー(映画)のはじまりのゴングが鳴り始めます。そして、僕の一番のお気に入りの楽曲
「This is me 」
が中盤に差し掛かった場面で流れ始め、勢いが加速します!本ブログを書いている際もこの曲を流すほど勇気をもらう曲です!
そして、ザック・エフロンとゼンデイヤが熱唱するこの曲は二人の愛を歌い、これも圧巻の一言です。
「Rewrite The Stars 」
「グレイテストショーマン」が訴えかけてることとは?
本作は主人公P.T.バーナムの半生を描いており、彼はちょっと変わったメンバーでショーを行ったことで注目を浴びます。
彼のメンバーの中には女性なのに男性みたいに髭が生えた人や、男性なのに女性みたいに化粧を塗りたくった人、小人みたいな成人男性に、極端に背が高すぎる人など普通の人ではない人達を集めてショーを始めたのです。
そして、そんな普通の人とは違った用紙の人たちがショーをやると大盛況なのですが、勿論それをよく思わない野次馬が心無い言葉を投げてくるのです。
そこで彼らはそんな野次馬には動じないと決心し、ある一曲の曲を歌い始めるのです。それが「This is me」であり、ここではこの曲から一部歌詞を抜粋したいと思います。これはこの曲のサビの前後であり、一番盛り上がる箇所です。
“ When the sharpest words wanna cut me down"
"I’m gonna send a flood, gonna drown them out"
"I’m brave, I’m bruised "
"I’m who I’m meant to be, THIS IS ME!! "
訳
鋭い言葉が私を切り裂こうとしても、洪水を起こして押し流してやろう
私は勇敢で、キズだらけ
私はそういう運命だし、それがわたしなの
と歌い、決心し表舞台に再び出ようとするのです。この曲は逆境にも負けまいと鼓舞させるような曲であり、映画のワンシーンに留まらず、見てる人に勇気を与える楽曲になるでしょう。
日本ではいじめなどが社会問題化し、深刻な問題として注目を浴びていますが、彼ら一人一人が自分を認め、一歩を踏み出せるようにという願いが込められた曲なのかもしれません。
びぇ!
真夏の西海岸を必死でヒッチハイクしたときのNG集を思い出してみる![2017年夏アメリカでのヒッチハイク] part 3
こんちくわ!Shygonです!
instagram( shygonblog )にも写真を載せているので、気になる方はそちらもご覧下さい!
2017年夏
アメリカ西海岸の国道5号線をひたすら紙1枚で北
カナダのバンクーバーまでいったのですが、
ヒッチハイクについては下記の記事を是非ご覧下さい!
ポートランドで野宿をしたときの話をしてみる
朝6時前、日が昇るとともにカラスの鳴き声で目がさめる。
だが、僕はとても気分が朝から悪い。
どうして朝からアクシデント続きなのか。
一度はここと決めた寝床は大きな公園の中にそびえ立つ樹木の一角
樹木は等間隔に手入れされ、
しかし、
はじめは誰かがイタズラをしているのかと思い、
それは定期的に稼働するスプリンクラーであり、
しかし、
まあ全く空いた口が塞がらない訳だ
そんな最悪の体験とともにクレイジージャーニーの幕開けであった。
シアトルから国境に向かうヒッチハイク中に出会ったヤバすぎる話 をしてみる
シアトルに無事に着き、数日間存分に観光を楽しんだあと、
慣れをいうものが人間は一番怖いとよく言う。
まさにそうだと思うが、
だから、旅行にはアクシデントはつきもの、
あれは普段のようにNorthとか書かれた紙を持っていた。
すると15分も経たずして新しい車が捕まりとても満足していたの
確かその車は白のfordで、とても小柄な車であったが、
まず異変に気付いたのは、ドアがしっかり閉まらないということ。
ん?という疑問が頭の中に萩巡り、そして車がめちゃくちゃ汚い。
これはヤバイ信号だと瞬時に心の中で語った。
走り出すと異変が確信へと変わった。
車が走り出すと不気味な音がやみやらないのである。
常に機械が擦れ合うような、
そんな状態で奴は120キロ以上出して、運転するのだ
これは久し振りに死が近い臭いがしてたまんなかったが、
すると気さくに彼は答えてくれたが、
結局この車には数個先の出口までしかお世話にならず、
他のドライバーさんと写真を撮ったときは最上級の笑顔であるが、このときだけ妙に顔か引きつっている。しかに身にしみて身の危険を感じていたかがわかる一枚となってしまった。
今となっては笑い話としてここに書き残してはいるが、
老韓国夫婦が主催する大家族食事会にちゃっかり招待されてしまっ た話をしてみる!
これはポートランドからシアトル区間にお世話にあったある老夫婦
ポートランドを出て、シアトルに向けて車を待っているとき、
腹をたてるとすぐに声を上げるアメリカ人には大の苦手の大渋滞で
渋滞が解消されるような兆しは全くなくみんな呆れた顔をしていた
すぐに振り向くとアジア人であろうおばさんに乗れの合図を貰った
渋滞で全ての人間がピリピリしている中、
僕が向かっている途中に前の車が徐々に動き出したのにも関わらず、僕のことを待ってくれている彼女には周りからかなりの罵声が飛び
この車には1980年代に韓国からアメリカへと移住してきた老夫
訪米して30年以上たっているのにもかかわらず、
噂通り韓国女性という人間は常にひたすら
話しているのだが、
心優しいことに常にそのお母さんが延々と話していたため話題に困ると行ったことはなく、全くの無口のお父さんと僕に交互に話しかけてくれた。
基本的にお父さんに話しかけるときは韓国語で話す。勿論そのときは僕は全く理解できないため黙って聞いているのだ。そして、僕に話しかけるときは英語へと移り変わる。
しかし英語のアクセントがきついため、運転席に顔を突き出して耳を傾け必死に応答をした。僕からしたら彼女の韓国語は勿論、英語でさえクセが強いため理解に時間がかかってしまう。
そうなるとなにが起こるのか。
交互に話しかけてる彼女は気分で話題を変え、会話相手が変わる。それは予告などなく突然やってくるのだ。
なので必死に食らいつく僕は訳の分からない韓国語でさえも耳をかっっぽじって聞き、自分のなじみのある音が聞こえてくる、「そのとき」まで待機なのだ。そしてきたら元気よく返事をし、応答する。といったことを5、6時間繰り返していた。
このときの教訓は「結婚相手は慎重に選ぼう」だった。しかしあのお父さんはこれを30年以上、、、申し訳ないがゾっとする話である。
無口のお父さんはまさにその言葉の通りでお母さんが10話たのにもかかわらず、1も返答しない。
たぶんこれが日常で、普段から彼女にとっては気持ちよく会話出来ないのであったのだと思う。少しでもお母さんが気持ちよく車内を過ごせたのならば、ヒッチハイカーにとってそれ以上最高なことはないのである。
びぇ!
映画「リメンバーミー」 感想ネタバレ:死者の日がただただ美しい 最高傑作のアニメーション!
こんちくわ!Shygonです!
友達に誘われてフラ~
「リメンバー ミー」
2017年に製作された本作はディズニースタジオとピクサーにより製作されたアニメーションです。
ピクサーにとって初のミュージカル作品であり、アメリカで公開されるとアニメーションながら興行収入3週連続1
そして、舞台となったメキシコでは史上稀となる大ヒットを記録しました。
あらすじ
舞台はメキシコの小さな村サンタ セシリア。この街に住むミゲルは12歳の男の子であり、
それは「音楽禁止」という独特なものであり、先祖代々靴職人として生計を立てていたのである。
その独特な風習は、音楽家としての夢を追い求め、
今は亡き伝説のミュージシャン「エルネスト」はこの街出身で、
ときは「死者の日」メキシコの一大イベントとして知られ、
そんな日にミゲルの行動が、、、
リメンバーミーとは!?
本作は「トイストーリー」
メキシコが初舞台ということでメキシコでは歴代興行収入を更新す
そんな本作の製作を担ったのは「トイ・ストーリー」
彼は「
キャストとして、ガエル・ガルシア・ベルナルをはじめ国際的に有名な俳優が名を連ねる
アニメーションとして世界的に大絶賛されている本作は各国の映画賞を総ナメにしています。
そして、アメリカ最大の祭典アカデミー賞ではアカデミー長編アニメーション賞を受賞しました。
圧倒的な映像美 ただただ美しい
ピクサーは世界初の長編フルCGアニメーションを作り上げた製作スタジオとして、映画業界に多大なる影響を与えている会社です。
その後ディズニーに買収されますが、
いままでメキシコの死者の日を扱った映画として、「00
本作はアニメーションということもあり、主人公が「死者の日」に死後の世界に訪れるシーンが出てきますがここは言葉に表せないくらい「綺麗」の一言です。
もう映像がただただ美しく、見惚れてそのまま死んでしまうくらいそれ以外の言葉が見当たりません。
まるで近未来社会のような街並みとそれを四方八方照らす色彩豊かなライト
まさにピクサーしかなし得ない唯一無二の映像美です。現映画会社で、
メイキング映像をみると一番わかりやすいですが、
本作が訴えかけるテーマとは!?
前章で、ピクサーの得意技映像美について触れましたが、
日本でも大ヒットした「アナと雪の女王」の新作として22分の短
個人的にアナ雪の新作短編映画はかなり微妙な結果となっとと思っていますが、その二本には共通点があると思います。
両作どちらも家族の物語を描いていてこの二本を通して観ると家族の絆や思い出を描いています。
たまたま舞台がメキシコで死者の日でありましたが、これはその地域の文化や風習を守り、未来へ繋げていくという極めて普遍的なもので、そんな古くから伝わる風習をテーマにしていると、インタビューで今作の製作総指揮を務めたジョン・
映像美だけじゃない!展開の読めない物語性!
これからはネタバレになります。
家族の話が主に描かれていますが、
尊敬していたエルネストのようになりたいと強く願っていたミゲル
エルネストのお墓に侵入し、
今日は一年に一度の「死者の日」。多くの死者たちが現実世界に幽霊としてやってくる中、
そして、彼の永遠のヒーロー、
彼を探す道中、ホームレス?
現実世界の入出国の際に必要なパスポートのように、
ヘクターは彼の写真を現世においてきてほしいとミゲルに頼み込む
初めはそんな知らない変な男の手助けなどしないと拒んだミゲルでしたが、実はこのどうしようもない男こそがこの物語の鍵を鍵を握っていたのです。
そして、予測できない結末へと物語は動いていきます。実はミゲルをつけまとう男ヘクターと伝説のミュージシャン、
いまは名曲「リメンバーミー」
そして、
はじめから伏線作りとして、物語の方向性が、
なんとなくでていただらしない男ヘクターこそが、伝説の曲「
本編通してみたあといい意味での裏切りにあったとともに暖かい家
日本の吹き替えはどなたがやるのかわかりませんが、
びぇ!
Netflix映画『最初に父が殺された』あらすじ感想ネタバレ:史上最悪のカンボジア大虐殺の歴史を描く
こんちくわ!Shygonです!
今回はNetflix製作「最初に父が殺された」を熱く、熱く、熱く語りたいと思います!
2017年にハリウッド女優アンジェリーナジョリー監督によって映画化されました。『最初に父が殺された 飢餓と虐殺の恐怖を超えて』を原作に原作者のレオン・ウンの実体験を基に製作されています。
監督としてジョリーとともに原作者であるレオン・ウンの名前もクレジットされています。そして、第90回アカデミー外国語賞のカンボジア代表として選出されました。
サクッとあらすじ
1970年代カンボジア。
中流家庭のウン一家で、父はアメリカに関わる政府役員をやっていて賑やかな家庭の大黒柱的存在であった。
5人の子供を育て、幸せの家庭を永遠に築けるだろうと思われていた、彼が政権を握るまでは。。。
史最悪の大虐殺を起こしたとされるポルポトが政権を握ると、国民はアメリカからの空爆を名目に都市部から避難を強いられる。
それがこの悲劇のはじまりであった。
カンボジアで行われていたこととは!?
この映画は実際に起こった事実をもとに作られています。
1970年代、日本が高度経済成長の波に乗る中、東南アジアでは日本からは考えられないことが起こっていたのです。
今回の舞台となるカンボジアでは人口の4分の1が虐殺されるという世紀の大虐殺
が行われていました。
ではなぜこんなにも悲惨な虐殺が4年にも及び行われていたのか、それを知るためにはカンボジアの歴史を知る必要があります。
第二次世界対戦最中(1940~1944)
ときは第二次世界対戦の真っ最中に話は戻ります。ナチスの筆頭によりフランス、イギリスをはじめそれまで東南アジアを植民地化していた国々は手を引きはじめました。
そこでドイツと同盟国であった日本は東南アジアの国々を彼らに変わって次々と支配していきます。カンボジアもその国々のひとつであったのです。
戦後、日本が降伏するとフランスが再び再植民化したのです。しかし、彼らの力は長くは続かず、ノロドムシハヌークが元々の君主制を採用し、新たな国を作ります。
シハヌークがカンボジア王国として、完全独立を宣言します。ここで、隣国ベトナムに目を向けましょう。ベトナムもカンボジア同様冷戦の被害を被り、国が真っ二つに分かれ北ベトナム、南ベトナムに分かれ内戦が行われていました。
カンボジア国内が冷戦の影響を受けていたのと同時にベトナムでも同じようなことが起こっていたということです。カンボジアはその後、アメリカとの国交を断絶し、徹底抗戦をするのですが、食糧不足など深刻な問題が絶えず不満が爆発します。
親米の一派がクーデターを起こし、新たな国「クメール共和国」を創設します。昔から人種柄からカンボジア人はベトナム人を毛嫌い、この政権ではベトナム人の大量虐殺を決行します。しかし、ここではシハヌークは終わりません。
亡命した後も仲間も集め共闘を策略していたのです。その中にあの、悲劇を起こした張本人ポルポト(Pol Pot)がいたのです。彼を含んだ集団をクメールルージュと呼び一気に政権を取るまで登り詰めます。
民主カンプチアとしてポルポト政権が始まります。そして、ここからカンボジアの歴史上最悪の悪夢が始まるのです。
「最初に父が殺された」を解読してみる!
カンボジアの歴史について少し触れましたが、ポルポト政権で行われた大虐殺の真実が本作ではリアルに描かれています。
そして、全編に渡ってほぼクメール語で描かれています。なので本当に臨場感のある恐怖すら感じるカンボジア大虐殺を肌で感じることができます。
同じ東南アジアとしては1965年に起こった隣国インドネシアの大虐殺については2012年にドキュメンタリー「アクトオブキリング」は記憶に新しいでしょう。
ですが、今回はドキュメンタリーでもなく、単にポルポト政権がどれだけ人道非道的だったのかを描いたものでもありません。
本作の魅力として真っ先に挙げられるのは子供目線でこの大虐殺が描かれているということです。なので、大人の事情を理解しない子供は違う切り口で現状を理解しようとします。
お父さん、お母さんはどんな手を使ってでも子供達に不安な思いをしないようにと細心の注意を払います。
なので、本編ではポルポトの姿なんて出てくることなく、知識人が虐殺される現場を直接みることもありません。
しかし、ある日最愛の父親は橋の修理という名目で呼び出されます。本人は勿論子供までもが会うのが最後になるということをみんな納得し、父親は死んでいくのです。
この父親はとても秀才で本作の中でもかなりの影響力を持っていると僕は分析します。
俳優として、あれほどいつ死んでもおかしくない現場を目の当たりにしながらも子供の前では元気な顔を見せようとするお父さん像は感激します。
その父親の滲み出る優しさの中に不安が含まれている感覚を子供達はしっかり受け取り、彼らなりに理解しようとするのです。子供というのは本当に感受性が敏感なんだといつも感心します。
ベトナム戦争の話はアメリカでもよく描かれますが、このカンボジアの大虐殺はあんまりきいたことがありません。
なので、ハリウッド女優の手自ら映画化するというのは相当意味があったことではないでしょうか。
そして、ジョリー監督が個人的にこの題材を選ぶ理由があるのではないかと筆者は推測します。
今現在は既に離婚してしまいましたが、アンジェリーナジョリーはブラットピットと結婚しておりおしどり夫婦として有名でした。
そして彼らは実子だけでなく、多くの発展途上国から自分たちの家族へ養子として招き入れていることもとても有名です。
その中でも第一子の養子になった子は実はカンボジア出身なのです。その彼も本作では製作としてクレジットされているのです。
映画を製作する際、監督としての能力を分析するときよく言われることがあります。子供の感情の変化をどれだけ映画で描くことができるかが監督としての手腕の見せ所であるそうです。
例えばスピルバーグ監督は特に子供を描くのが上手な監督のひとりであります。そういう観点からこの映画をみるとこれほど忠実にカンボジアの悲劇を描きつつも子供目線で全てを描き切ったジョリー監督は賞賛に値すると思います。
ポルポト政権の思想
映画を見ていると独裁政治が広がっているのは一目瞭然ですが、とても不思議なことがあると思います。
社会を動かしているのが、主に労働力として働いているのが小さな子供達であるということです。実はこれこそがポルポトが目指した社会構造だったのです。
ポルポトは毛沢東の思想を基にした、「原始共産主義社会」を理想に掲げていたのです。その名前の通り、技術や私有財産をなくし、みんなで共有する、原始時代の仕組みを意味します。
なので個人で所有できるものなどなく、全ては国に帰属します。
そして、ポルポトは先生、医者など知識人に反乱されることを恐れて、排除を始めます。これこそがカンボジアの大虐殺のはじまりなのです。
彼らは大人はもう汚れているため、まだ未発達の子供達に教育をし、大人は排除する、そのような社会構造が出来上がったのです。
なので、国自体が14歳までの少年兵で構成されているため、ベトナム軍に侵攻後、ポルポト政権はたった2週間で崩壊したのです。
そして、国が崩壊した後、彼らは大人を虐殺しすぎたため、いまでもカンボジア国内の人口のうち、半数が20代以下なのです。
カンボジアの大虐殺を見て思うこととは!?
やはりこの作品は見てて心がものすごく痛みます。題名の通り最初に父がどこかへ連れてかれ二度と帰ってこない人になると母親はどうにかして子供だけは助けようと奮闘します。大勢の子供たちに別々のところに散らばらせ命を守ろうとしたのです。
まだ10歳前後の小さな子供が生きるために母親の前から逃げないといけないのです。そんな心痛む体験がカンボジアでは普通に起こっていたということなのです。
結局母親も政府の人間に連れていかれ二度と帰ってはこなかったのですがこれが日本からさほど遠くない国で普通に行われていて、
しかもそれは遠い昔の話ではなくつい最近のことであるということです。もう簡単に言葉では表せない思いがこみ上げる気持ちです。
そして最後に映画の最後ジョリー監督はクメール語でこんな言葉を添えてこの映画に幕を下ろします。彼女は
"その悲劇を忘れない"
"人類の記憶に残すべき出来事だから"
あの史上最悪の出来事を身に浸みて体験したからこそ、いまでは人権活動家になった彼女はこの映画を通して訴えかけているのです。
そして僕らはそんな歴史を他人事とは思わず、知っとくべきなのではないでしょうか。それこそがこの映画を通して彼らが世界に訴えかけていることなのかもしれません。
びぇ!
映画 「マッドバウンド哀しき友情」 感想ネタバレ:米南部の信じられない終戦後の人種差別とは?
こんちくわ!Shygonです!
今回はNetflix配信の社会ドラマ
「マッドバウンド 哀しき友情」
を熱く語りたいと思います!
2017年製作の本作はアメリカミシシッピ州の田舎を舞台に、
戦争終結後未だに街には人種差別が街全体に蔓延る中、
サクッとあらすじ
世界中を巻き込んだ第二次世界対戦が勃発する中、
戦争が終結し、帰還兵が故郷へ帰ってくる中、
戦争中では母国のために果敢に戦い勲章までもらった黒人兵は環境
そして、それは黒人だけが感じることではなく、
戦時中絶体絶命の中自分を救ったのが黒人であり、
そんな葛藤を続ける両者は次第に馴れ初めはじめるが、、、
マッドバウンドとは?
本作は2017年製作で、サンダルス映画祭で始めて上映され、
ディー・リーという女流監督が務め、キャストはキャリー・マリガンはじめ有名俳優が多数出演しています
ラウラ(キャリーマリガン)
彼女は献身的な妻を演じます。とても優しい性格の持ち主で、
「17歳の肖像」などで知られる実力派女優。
ヘンリー(ジェイソンクラーク)
農園の地主として、ラウラの夫を演じます。父親の影響もあり、
「ファーストマン 」などで知られるオーストラリア出身の男優。
ジェイミー(ギャレットヘドライド)
ヘンリーの弟で役者を目指していました。戦争に従軍すると戦場では大尉まで上り詰め、
「トリプルフロンティア」や「オンザロード」で知られる若手。
パピー(ジョナサンバンクス)
ジェイミーとヘンリーの父親であり、
大人気ドラマ「ブレイキングバッド」では用心棒を演じていた人です。
ロンセル(ジェイソンミッチェル)
黒人一家に生まれ戦争で戦車の軍曹を務め帰国します。しかし、
フローレンス(メアリー J ビリジ)
ロンセルの黒人母親であり、
ナレーションが物語の進行役
本作主に戦後に帰還兵としてかえってきた2人の相反する立場の兵が自分の中で葛藤する姿を描いてします。
白人の帰還兵はPTSDに悩まされて、酒に溺れます。
そして、
黒人の帰還兵は戦場では人種関係なくお国のために、人種の壁を超えて団結し一緒に戦うのです。
そして、
本作においてナレーションとして様々な人たちが登場し、
ラウラは一家の妻としての葛藤や悩みを訴え、ジェイミーは人種差別への反感と、
ロンセルは黒人として、
色んな人たちの思惑が混在している中物語は思いもよらない方向へ
本作の舞台アメリカ南部は奴隷廃止後でも激しい人種差別が残る地域で有名です。
本作のように黒人の置かれている立場と白人の立場の違いというのが度々映画の中では描かれることがあります。
僕も南部にはバックパックで行ったのですが、大多数が黒人なのに少数の白人に差別されるという考えられないことがいまだにあるんですよね。
「アラバマ物語」はこのような部類の映画の名作なのでぜひ一緒にご覧ください。
思いも寄らないエンディングとは!?
(ネタバレが含まれます。)
冒頭シーンで父親パピーが亡くなったことで大雨の中、息子2人が
雨が止んだあと父の遺体を地中に埋めるのですが、男2人では足り
しかし、
2人の帰還兵は戦争に貢献したとして崇められる存在になるのです
そんな戦争の辛さを帰還後も引きずるのですが、それを分かち合えるのは戦争を知っている彼らのみです。
そこで人種の壁を超え痛みを共有し始めるのですが、
パピーは白人至上主義グループの一員として、
拷問の最後には、舌、目、
肌の色が黒いだけで拷問を受けたロンセルは一応一命を取り留めま
なので、冒頭シーンでお墓を作ってたジェイミー張本人が実の父親を殺していたのです。
そして、
本作が訴える人種差別と戦争の関連性とは!?
戦争後、どれほど人は豹変し、
話題になった「アメリカンスナイパー」や「7月4日に生まれ
黒人にとっては我が国のためにと必死に命をかけて戦ったにも関わ
それは単なる肌の違いだけなのです。
そんな現状によく思っていない白人にも同じような態度をとる古風
PTSDと人種差別の大きな2つの問題を重ね合わせることで見える新たな一面。まだ考えさせられる映画、それが本作「マッドバウンド 哀しき友情」です。
そして、本作で黒人一家の母親役を演じたメアリー J ビリジは本職
びぇ!
映画『ブレードランナー』をなぜこんなにも愛しているのかを語る![考察と解説] (ネタバレ)
こんちくわ!Shygonです!
今回は「カルト映画の金字塔」と言われる
ブレードランナー(Blade Runner)
を熱く語りたいと思います。
1982年に公開された本作は、監督を巨匠リドリー・スコットが務めたことから公開前に脚光を浴びたそうです。
しかし、いざふたを開けると大コケだったのです。その後年々着々とファンを増やしていき、僅かな層ながら絶大的な人気を誇ってきたカルト映画の象徴とも言えるべき作品です。
35年ぶりに新作「ブレード・ランナー2049」が公開され、再び脚光を浴びましたが、一体この前作ブレードランナーをしっかり理解して新作を見る方がどれほどいらっしゃるでしょうか?
実際にこの作品の意図が分からずに新作を見に行くという方も少ないと思います。
なぜならそれが本作が長年カルト映画として愛し続けられた要因だからであり、とても理解するのが難しい難解映画であるからです。
サクッとあらすじ
近未来2019年ロサンゼルス。環境破壊で宇宙へ移住が成される中、技術の発展からレプリカント(ロボット)による過酷な強制労働が行われていた。
しかし、そんな彼らも数年経てば感情が芽生え、人間に反逆するようになっていく。そんな中、そのレプリカントを殺害する特別警察デッカードに仕事が舞い降りる。
地球に4体のレプリカントが潜伏しているため、それを全て対処するというものだった。しかし、その戦いは想像を絶するものであったのだ。。。
こんな今ではありきたりの設定に一見陳腐に見えがちの登場人物たち。一体どこに映画史を変えたほどの魅力が潜んでいたというのでしょうか。
様々なカテゴリーに分け、熱く語っていきたいと思います。
「1982」が意味する歴史的背景とは
時は1982年。この年に本作が公開されたわけですが、この数字が示す時代は映画史の中でも特に重要であるのです。
1977年、ある一本の影響で映画製作においての方向性がその後ガラッと変わります。
同年に公開された「スター・ウォーズ」は興行的に成功しただけでなく、人々の映画の常識そのもの自体を変えました。公開後40年経ったいまでもなお多くのファンを持つ、いわば名作なわけです。
様々な思惑が混在するハリウッドでは、スターウォーズの以前は
SF映画は陳腐、子供の見るものだ
という認識が人々の中には存在し、全く見向きもされませんでした。
しかし、「スター・ウォーズ」の登場はその常識を根本的に変え、人々はSF映画の熱狂の渦に溶け込んでいったのでした。
それからハリウッドでは様々なSF映画が脚光を浴びる中、スティーブン・スピルバーグ監督の「E.T」が1982年に公開されるとその年の興行収入第一位に踊りだすだけではなく、全世界興行収入の記録をも塗り替えるほどSF映画の波にハリウッドは飲み込まれていたのでした。
上記に述べたように本作「ブレード・ランナー」が興行的に成功しなかったのは同年1982年に「E.T」が公開していたからなのです。「E.T」や「スター・ウォーズ」のようなSF映画が世の中に浸透していく中、
統制され腐敗したディストピア的近未来を描く
「ブレード・ランナー」はそんな映画たちとは真逆の方向の映画であったのです。
明るい希望を持てるようなSF映画が大人気の中、本作は全く違う立場での近未来を描くものです。しかし、ではなぜ本作は腐敗した近未来を描くながらもいまなお名作なのでしょうか?
答えの一部は、「スター・ウォーズ」や「E.T」の世界観の中には描き切れなかった斬新なアイデアと設定があったからです。
詳しくは最後の章で熱く語りますが、本作まではSFの世界観とは明るくて希望の持てる話でした。
しかし、「ブレード・ランナー」ではそれをあえて悲観的に捉え、想像したら絶望しそうな世界観を描くのでした。
これについては本作の監督リドリー・スコットが本作を手掛けるときに参考にしたといわれている作品があるため、触れておきます。
「SF映画の原点にして頂点」と言われる、1926年公開の「メトロポリス」の統制され腐敗したディストピアを描き、多くのSF映画に影響を与えております。
「ブレードランナー」に出てくる都市の中心部ともいわれる壮大な建物はこの映画の頭脳的存在の建物と類似しているのです。「メトロポリス」の影響もあり、それまでの多くのSF映画では近未来は町中どこを見渡しても立派な建物だらけなのです。
しかし、「ブレード・ランナー」では、立派な建物が立ち並ぶ中、そのすぐ真下では腐敗した街並みにホームレスのような人たちが蔓延る世界が広がっているのです。
いままで、SF映画の中で、近未来が描かれるとそれはすべて完璧な建物しかなく、腐敗した街並みは過去の産物であったのです。
その時代から数十年が本当に経ちましたが、全てが完璧で綺麗な建物が立ち尽くす世界には微塵も近づいていないのです。
それよりかは本作「ブレード・ランナー」で描かれる最先端の技術と過去の負の遺産が共存する世界になっているではないでしょうか。そんな本当の未来を数十年も前から本作は予言していたのです。
技術的に本作が評価された理由を紐解く
SF映画の中でも斬新的なディストピア映画である本作はその管理された近未来を描くため細部まで徹底して作り来れています。本作の世界観をリアルに描くため様々な小道具が使われます。
スモーク、ネオン、霧を照らすスポットライトは同時に閉寒感と奥行きを表現し、広告などのライドが常に四方八方照らしているのは、監視された社会を表現し、そして、音楽はジャズとシンセサイザーの重音がより一層不気味な雰囲気を作り上げています。
これぞサイバーパンク的世界観のイメージを徹底して目指した頂点であり、本作の基になった原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」への最高のリスペクトな気がします。
そして、本作の特撮を担当した「ダクラス・トランブル」は自分の名前が一種の技術として命名されるほど有名であり、彼の技術的な側面の画期的なアイデアがどれだけ本作で活躍したのか計り知れません。
では次になぜ今作は「カルト映画の金字塔」とまでいわれるようになったのでしょうか?それは何度見ても作品の意図がわからず、ファンの間では常に様々な説が飛び交っている状況です。
つまり、一度見ただけでは完全に理解などできず、何回も見て研究する必要のある映画なのです。
そして、「ブレードランナー」は計5種類も存在し、結末がバージョンによっても異なってくるのです。
そんな様々なバージョンが存在する映画はカルト映画には多く、例を挙げると1985年に公開された「未来世紀ブラジル」もカルト映画としていまもなお人気を誇っています。
細部に至るところまで様々な伏線を張っていると今作はいわれているので、その一部をご紹介します。
タイトルにもある「ブレードランナー」とはレプリカントを抹殺する特殊警察です。Balde(ブレード) Runner(走る人)の名前の由来から映画のいたるところに扇風機の羽根やタケコプターのようにまわる天井についたデカいブレードがあります。
次に、この作品の基になった、根底にあるものについてです。
実は聖書の由来の「贖罪(しょくざい)の生贄」にて堕天使アザゼルに駆逐される羊たちの話に主人公デッカードの人物像と重なる部分があるといわれています。
本編のほとんどの時間が暗闇の中描かれているのにも理由があるのです。
回転する挿絵を鏡を介してみることができる装置であり、アニメーション技術のはじまりでもある「プラキシノ・スコープ」の見える世界をそのまま本作「ブレード・ランナー」では再現されているようです。
そして、折り紙を折って、主人公デッカードの前に置くという印象的なシーンにも様々なメッセージが隠されているといわれています。
ディレクターズカット版が公開されると、いままで謎に包まれていたユニーコーンを彷彿させる折り紙のシーンの謎が説かれたのです。
このバージョンではとても衝撃的な結末を彷彿させることからファンの間ではとても話題になりました。
ユニコーンの結末が導いたことは、
実はデッカードがレプリカントであった!?
という結論に行き着くのでした。レプリカントを狩っていた者自体がレプリカントかもしれないという結末には映画として成り立つのか不思議に思ってしまうほどです。
これに関してはのちに監督の「リドリースコット」はただ想像の幅を広げたかったと語っていますが、真相は謎に包まれたままです。
このように、これらは「ブレードランナー」の真意を読み解く一部分でしかありませんが、
1シーン、1シーンに意味があり
それらが集まってやっと
2時間の映画が成り立っている
ということです。
本編二時間の中で、欠けていいシーンなど一つもなくその全ての細かなシーンが全て集まってはじめて名作「ブレード・ランナー」が完成するということです。
全てのシーンや事柄に意味を持つ映画など他に存在するのでしょうか。そう疑問を持つくらいよく考えられており、映画の枠を超え、芸術の域をも超えてしまっているのではないかと僕は思っているわけです。
込められた思いと本作の魅力とは
最終章についに突入です。ここまで様々な本作の魅力を存分に語ってきましたが、ここからが本作の本当の魅力です。
技術が急速に発展し、ロボットが人間にとって代わって生活の至るところまでを担うようになりました。
人工知能の急速な発展でロボットたちが自分で考え、決断を出す日ももう遠い未来の話ではありません。
「ブレード・ランナー」では2019年の近未来を舞台にレプリカント(ロボット)の能力は人間と同レベルか超えるまでの領域まで発達した世界が描かれています。
考えてみてください?
1982年に作られた映画の近未来がいま僕らが生きる現代社会とほぼ変わっていないということです。
1秒先のことが予言できないのにも関わらず、この映画は数十年後の社会をきっちり予言できている恐ろしさを感じてほしいものです。
そして、いま僕らが抱える技術を超え、ロボットたちは自ら感情を持ち始めたというのがブレードランナーの世界観です。
するとどうでしょうか?
人間とロボットの違いはなんでしょうか?
いままで感情の有無や自ら考えることができるか否かをロボットと人間の違いとして考えてきたぼくらはそれらの差が埋まるとかれらと一体どこが違うのでしょうか?
その差がなくなりはじめたところを本作では扱っているのです。その実に難しい倫理的な問題をこの映画は扱いどうするべきなのかという問題提起をしているようにこの映画を見ると思うのです。
その題材を扱うにあたって、「ブレード・ランナー」のレプリカントは感情以外はなにも変わらず、製造後数年たてば感情が生じてきます。
そして、安全装置を同時に持ちと、4年が寿命となりそれ以上は生きれない設定の基映画が進んでいきます。
感情をもつために記憶を植え付けられ、自分では十年前の記憶があるにもかかわらずレプリカントの可能性もあり、自分でも人間かレプリカントかもわからなくなってしまいます。
上記したように、そんな理由からレプリカントを狩る立場の者でさえ、レプリカントではというこのありえるのです。
これからも様々な技術が開発されていく中で、人間とロボットの区別は?という永遠に答えの出ないような問題を僕たちは考えなければいけないのかもしれません。
公開当時よりレプリカントは技術の発展で現実味を帯びているため、ますます映画「ブレード・ランナー」は現実感が増すのです。
実はこんなに語ってもまだ本作の伝えるメッセージというのは一部分でしかないのです。最後の敵の言葉の意味や意味深な描写が数えきれないほどです。
しかし、ここからは自分で考え結論を出す。考えることが重要であり、そのゴールの検討がつかないのがカルト映画の魅力です。
びぇ!
「ナルコス」が描く麻薬密売人たちの壮絶な生き様とは?[考察と解説] (ネタバレ) ~ シーズン1, 2編 ~
こんちくわ!Shygonです!
今回は視聴者から絶大なる人気を誇る
NETFLIX製作のドラマ、「ナルコス」を徹底的に深く掘り下げ
熱く語りたいと思います。
さらにこの記事では主にシーズン1, 2の総括をし、熱く語っていきたいと思います。
ナルコスとは?
2015年の夏からNETFLIXでシーズン1の配信が始まり
全シーズンで4部構成で、南米地域の麻薬カルテルを描く物語です。
シーズン1が配信されるとすぐさま反響を呼び、続編が決定し、多くのファンを抱える作品となっています。
題名のナルコスはスペイン語の「麻薬ディーラー」をいう意味で、
シーズンごとに様々な環境、人物に焦点を当てて物語を進行させているのが特徴です。
各シーズンの総括
シーズン1, 2: 「メデシン・カルテル」の繁栄と滅亡
史上最悪の麻薬王「パブロエスコバル」の繁栄と滅亡を描きます。
彼がどのようにして「メデシン・カルテル」という帝国を作り上げ、
アメリカに混乱を招くくらいのコカインを密輸したのか。
コロンビアを舞台にアメリカとの関係にも焦点が当てられます。
シーズン3 : 「カリ・カルテル」の繁栄と滅亡
舞台は再びコロンビア。
パブロ亡き後、その後釜を担った
「カリ・カルテル」のロドリゲス兄弟とその仲間たちがどのように覇権を取り、繁栄し、失脚していったのか
を描きます。
シーズン4 : 「フアレスカルテル」の繁栄と滅亡
舞台はコロンビアからメキシコに移ります。
カリの滅亡後、フエンテスが覇権を握り、1990年代最も恐ろしい麻薬王として、
空輸で大量の麻薬を輸送して巨万の富を築きました。その栄光と最期を描きます。
「ナルコス」の魅力とは?
- 物語
このドラマ見ていて全く飽きません。
事実を元にしているとは思えないくらい僕らには考えられないことが起きるのです。
登場人物ほぼ全員に魅力があり、よくキャラクターに焦点を当て
描かれているため予想を裏切り、常識を常に超えてくるのです。
そして、最大の魅力は歴史の勉強になるということです。
1970年代後半から1990年代まで一体なにが起こっていたのか?
どうしてアメリカが無視できないくらいの麻薬消費国になってしまったのか?
それは南アメリカ地域からの麻薬の流入が原因だったのですが、
なぜそんなことがおきてしまったのか?
このベトナム戦争後、アメリカを混乱に落とし込めた理由を
このドラマから学習できるのです。
事実を基にしているため、実際の映像が本編でもたびたび挿入され、
とても親近感がわくのです。
- ネット配信の強み
本作はNETFLIX製作のストーリミング配信の作品です。
なので、テレビや劇場とは違って様々な妨害が発生しません。
例えば、残虐シーンです。
残虐シーンの多さに左右され劇場公開やテレビだとスポンサーの協力があっての製作なため最悪公開できないなど様々な邪魔が入ってしまうのが事実です。
しかし、ネット配信なので、そのような心配は無用なのです。
なぜならネット配信を言い換えると、自主製作のようなものです。
事実に近い状態で、作品を作り上げるのが必須だった本作では
残虐シーンの多用は不可欠です。
そんな本作にはピッタリな条件下でドラマを撮ることができたのです。
そして、言語の問題です。
これもテレビや劇場だとみる人に制作側が歩み寄らないといけないため、
客層の理解できる言語でドラマを撮るのは当たり前です。
しかし、リアリティーを追及していた今作では、
舞台が南米であるため、全編のほとんどがスペイン語なのです。
これにより現実に近い状態で、このドラマを楽しむことができます。
要は、字幕で見ろ。ということなのです。
そして、本題に入ります。
今回の記事ではシーズン1,2に焦点を当て、熱く語っていきたいと思います。
シーズン1,2では「パブロ・エスコバル」の生涯にスポットを当て、物語進行していきます。
「パブロ・エスコバル」ってどんな人物?
パブロ・エスコバルは一時、世界一の麻薬王として暗躍し、
フォーブスの長者番付では7位にランクインするなど、
かなりの大富豪でした。
彼の組織「メデシン・カルテル」では
一日に15トンものコカインをアメリカへ空輸し巨額の富を得ていました。
彼の経営手腕は天才と称されるほど、もの凄いスピードでメデシンを世界に知らせました。
しかし、敵対した組織や警官たちを躊躇することなく殺したため、
マフィアだけでなく、アメリカにも敵視され、命を狙われます。
結局アメリカの手によって射殺されるのですが、
地元コロンビアでは、彼が殺された後でも英雄視され、
いまでも一部の層には人気があります。
彼がどれほど影響力があり、世界を混乱させた力があったのか、こちらのサイトに詳しく乗っておりましたので、ご覧ください。
http://gigazine.net/news/20160805-pablo-escobar-wealth-visualized/
「パブロ・エスコバル」が持つ影響力とは?
彼が牛耳っていた麻薬は
アメリカ国全体を混乱させるほど、社会問題に発展していきました。
いま現在アメリカは世界でも有数の麻薬大国として知られていますが、
その根底にあるのはパブロ・エスコバルが大量に密輸したからなのです。
上記の通り彼はメキメキと資産を増やし、世界でも有数のお金持ちへとなっていくのです。
まだ彼の裏の顔が知られていないときには、
彼は政治の世界まで顔を突っ込み、市の議員までなります。
最終的に大統領を狙っていた彼ですが、
その前に彼の悪行が表に出てしまいその道を断念せざるを得なくなります。
彼がどれだけ国だけではなく世界的に影響力を持っていたのか、本作ではよくわかります。
彼の行動一つ一つが世界を動かすまでになってしまうのです。
- シーズン1,2の魅力とは?
映画やドラマを創作する際、とても重要なポイントがあります。
どの視点で物語を描くのかということです。
どの視点で物語を進行させていくのかで、出来上がる作品は全く違うものになります。
「ナルコス」では舞台のコロンビアを主体に話が進んでいくのですが、
主人公は2人いて、どちらも実在の人物です。
一人目は「スティーブ・マーフィ―」
彼はアメリカから麻薬の出所を探るため派遣されたDEA捜査官です。
二人目は「ハビエル・ペーニャ」
彼もスティーブ同様、DEA捜査官ですが、真面目なスティーブとは正反対で手段を選びません。そして、スペイン語が堪能なのも彼の特徴です。
物語自体は南米の麻薬戦争なのですが、視点をアメリカ人のDEA捜査官にすることで、
内容自体から少し距離をおき、客観的にこの麻薬戦争に焦点を置けるというのが
本作の最大の魅力です。
ですが、シーズン1、2はパブロ・エスコバルの人生が描かれるため
パブロ側とDEA捜査官との駆け引きはとても魅力的でした。
様々な水面下での交渉や彼らの心の動揺も大事な情報として鮮明に描くのです。
はじめは順調に「メデシン・カルテル」を拡大していくのですが、
彼の裏の顔が暴かれ、敵は皆殺しにしていると、
国は勿論アメリカからも指名手配されるようになり逃亡生活を余儀なくされます。
彼は自分が置かれている状況の変化と老いが重なり、
俳優としての演技は最高峰に難しいと思いえるのですが、
パブロ・エスコバルを演じた「ヴァグネル・モウラ」は天才です。
家族を守るため、メデシンを守るため必死に逃亡していると当然ストレスはたまります。
そして、必ず来る老いとの闘いで疲れた果てた彼の生きざまはまさに伝説でしょう。
本作では決して彼の行いを英雄視して描いているのではなく、
彼の関わったとされる悲惨な抗争や事件も忠実に描いています。
びぇ
映画 「バリーシール アメリカをはめた男」 感想ネタバレ:実在したCIAのパイロットの裏の顔は実は麻薬の運び人!?
こんちくわ!Shygonです!
今回はトム・クルーズ主演の新作
「バリーシール アメリカをはめた男」
を熱く語っていきたいと思います!
2017年に製作された本作はトム・クルーズ主演作で、実在のCIA職員ながら、裏では麻薬の運び屋として大金を稼ぎだす、実在した凄腕パイロットの伝記映画です。
サクッとあらすじ
実在のCIA職員ながら、裏では麻薬の運び屋として大金を稼ぎだす、実在した凄腕パイロットであったバリーシールを主人公に彼の壮絶な人生が描かれます。
時は1980年代前後、コロンビアから巨大な連絡網を武器に麻薬をアメリカへ大量にバラまいていた史上最悪の麻薬王パブロ・エスコバルへの対処に悩んでいたアメリカはCIAをはじめ様々な秘密機関が彼の対処のため動いていました。
そんな頃ある民間会社でパイロットとして優秀な成績を上げていたバリー・シールの輝かしい能力を買われ、CIA職員として飛行機を操縦しながら敵のアジトの上空写真を撮る仕事の依頼を受けました。
それを快諾し、順調に仕事をこなしていたある時、燃料補修のため降り立った場所で彼の人生の転機を迎えるのです。
それは時の人、パブロエスコバルの麻薬を空輸するという仕事でした。破格の価格に目がくらみ、それを引き受けます。しかし、それは同時に彼の人生を破滅した原因でもあったのです。
製作背景
主演のトム・クルーズはもう知らない人はいないですね。
「ミッション・インポッシブル」シリーズで有名なアクション俳優で50歳超えても現行でアクションをひとりでこなすもはやバカ天才です。本作でも彼のアクションや顔芸がふんだんに楽しめますよ
彼のことを捜査する捜査員を演じたのがドーナル・グリーソンです。彼は若いながら「ハリーポッター」のウィーズリー家の一員として、そしてスターウォーズ7,8にも出演するなど、今注目株の俳優です。
彼の父親も端役を堅実にこなす名優として知られています。他にも保安官を演じだのがジェシー・プレモンスです。彼はあの大ヒットテレビシリーズ「ブレイキング・バッド」にも少し登場します。
監督を務めたのがダグリーマンです。
彼は「ボーン」シリーズで製作を務めていた人で、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが出会いその後結婚することになった「Mr&Mrsスミス」や過去に何度も戻る異色のアクション映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」などを監督してきました。
バリーの壮絶な人生を読み解く
本作「バリーシール アメリカをはめた男」では日常から自分の行動や思うことを逐一録画していた彼のビデオで物語が進行していくのです。
彼の職業柄、家族総移動が多く、その度に撮ったビデオが映画の進行の手助けとして登場させます。
実話がもととなっていたので、その時期に世界で何が起こっていたのかを当時の映像とともに振り返ることができる映画なのですが、それは同時にドキュメンタリーとしてもこの映画を楽しむことができるのです。
そして、笑えるジョークがまた奇妙なんです。
数あるうちの一つをご紹介しようと思いますバリーが麻薬の運び屋として暗躍していたのですが、ついに警察に身元が割れ、それを感づいた彼は自分の倉庫から逃げようとします。
が、それはもう遅く警察が到着します。「手を挙げろ!」という声が聞こえると同時にスポットライトがともります。しかし、別のところから同じ声が聞こえてくるのです、それも一回や2回ではないのです。
結局同時刻にFBI、CIA、DEAはじめアメリカの諜報機関が彼を捕まえようとやってきたのです。それを描く際、どうしても笑ってしまうのです。
あんなに笑えるシュールな逮捕現場をコメディ調に描く様はなぜかクスッと笑ってしまいます。
字幕が映画を語る
彼が麻薬の運び人として世界最大の麻薬帝国を築いていたパブロ・エスコバルの下で働いていましたが、彼の拠点が南米コロンビアなので、スペイン語で意思疎通をしないといけない状況が自然に増えていきます。
でもアメリカ人のバリーシールはスペイン語なんて話すことができません。なので本作でもスペイン語で誰かが話していようと字幕がないのです。徐々に話せるようになると、字幕も徐々につき始めるのです。
日本で公開されたときに字幕がどうなるのかはわかりませんが、アメリカでこの映画をみるからこそ感じる言語の壁も、この映画からは読み取ることができるのです。
結局バリー・シールはアメリカに捕まり、パブロ逮捕を手助けすることで、自由の身になるのですが、裏切り者を決して許さないパブロの手によって命を落とします。
パブロに手を貸した人間はバリーシールを含めてほとんどの人間が虐殺されています。
本作では麻薬カルテルがどのような経緯でアメリカに影響し、勢いをつけていたかの説明がまるでなく、ただバリー・シールという人物のみにフォーカスを当てて描かれていました。
彼のジェットコースターのような人生こそが麻薬カルテルの恐ろしさを完成つ的に色濃く描いていてとても興味深い映画でした。
びぇ!
映画 「キングスマン:ゴールデン・サークル」 感想ネタバレ:残虐でクールな英国紳士 今度は世界規模で暴れるぞ
こんちくわ!Shygonです!
今回は大人気シリーズの続編「キングスマン:ゴールデンサークル」について語りたいと思います。
2014年に前作キングスマンが公開されるとイギリス国内だけではなく、日本でも話題にありました。現代版007と評されるほど、ジェームズボンドにはない魅力がこの映画シリーズには兼ね備えているのです。
2017年に製作された本作は「キングスマン」の続編で、正式にキングスマンとして働き始めたエグジーのその後が描かれます。前作同様豪華キャストに迫力のあるアクションが見所です。
そもそもキングスマンって???
前作を知らない方のために、舞台は現代のイギリス、ロンドン。表面上では高級紳士服を売っている「キングスマン」。
しかし裏ではどこにも所属しない機関として、スパイ活動をし、影で世の中の秩序を保っています。
主人公ハリー(コリンファース)は諜報員エージェントして活躍する中、次世代のエージェント育成の中で殺された同僚の息子エグジー(タロンエガードン)を推薦するのでした。
そんな中、人間自体を病気と考え、人口調整が必要をと考えたヴァレンタイン(サムュエルジャクソン)は人間同士が殺し合いをするようにプログラムされたSIMカードを世界中にまき散らします。
そこに危機感を覚えたハリーは行動するのでした。しかし、その最中にハリーは最大の宿敵ヴァレンタインに殺され、あとを任されたエクジーが奮闘するのです。
そして、「キングスマン2」では新たな敵がエクジーとその仲間たちに立ちはだかります。本作は前作よりはるかにスケールを超え、見どころの多い映画となっています。
その魅力とは一体何なのか、いくつかのカテゴリーに分けてキングスマン2を読み解いていきたいと思います。
あらすじと背景
前作後、ハリーを亡くしたエクジーはエリート諜報員として坦々と任務をこなしていきます。そんな劇中はいきなりエクジーが何者かに襲われるアクションシーンから始まります。
突然の突撃だったにも関わらず、華麗に逃げ切った彼だったのですが、敵の足がまだ残っていました。
最終的に自分の組織のメンバーの個人情報を渡してしまうことになったのです。その情報を知ってしまった彼らは、エクジーの組織を片っ端から爆撃し、殺すのです。
幸いそのエグジーは彼女の両親のところへ会食にいっていたため、命免れます。
その後、生き残ったマーリン(マークストロング)とアメリカに渡り、自分の組織のアメリカ本部へ助けを乞うため向かいます。
新しい国を舞台に繰り広げられ、様々な人の思惑がぶつかり合う新しいキングスマンが幕を開けるのです。
特徴と基本的な情報
本作前作と比べて明らかにかけられた予算が莫大なのです。
それが一目でわかります。勿論前作が大ヒットを記録したのが要因なのですが、前作との変化を違いとして箇条書きにしたものを下記に用意しました。
舞台
前作は007シリーズに憧れた監督が現代版007を撮ってみたという感覚ですが、今回はその辺の実験映画とは違い完全に商業映画に生まれ変わっていたのです。
「有名アクション映画シリーズのあるある」でよくある、
世界中の都市に舞台が次々と移り変わる
といった特徴が今作でも見受けられることができました。それは本作が大ヒットし、人気シリーズの仲間入りを果たしたという紛れもない事実です。
本来はイギリスが舞台の話なのですが、アメリカにもキングスマンの組織が存在していたということがわかりNYとアジア地域も含め世界中にキングスマンの組織が広がっていたのです。
そして、敵のアジトがインドネシアの森奥にあったので、世界中に場所が次々に移り変わるのです。
前作のイギリスの秩序をこじんまり守っていたキングスマンではなく、実は世界を股に活躍していたのです。
「敵のアジトがアジアにあった。」と、「アメリカをはじめ世界中にキングスマンのアジトがあった。」が本作を世界中に映した要因となったのです。
出演者
前作同様、主要キャストのコリン・ファース(ハリー)、タロン・エガートン(エグジー)
マーク・ストロング(マーリン) に加え、壮大なるキャストを迎えて撮影されていたのです。
アメリカ組織のキングスマンのメンバーとして、
- ハル・ベリー:黒人女性。黒人女性初のアカデミー主演女優賞に輝いた
- チャニング・テイタム:いま注目株のイケメン俳優。「マジックマイク」など
- ジェフ・ブリッジス:「ホテルエルロワイヤル」など
- ペドロ・パスカル:チリ出身の注目株。「ナルコス」など
ジェフ・ブリッジスとペドロ・パスカルの他の作品はこちら
そして、敵組織「ゴールデンサークル」では
- ジュリアン・ムーア:全ての主要映画祭で主演女優賞受賞、まさに天才
- エルトン・ジョン:伝説のミュージシャン。彼については後程語ります。
主要キャストだけでもこの顔ブレです。この演者の顔ぶれを見たとき、驚嘆しました。久々にこんなにお金のかかる有名俳優をたくさん見れる映画は数少ないでしょう。彼らの豪華な顔ぶれを見るがけでも映画館に行く理由になるくらいです。
基本的にアカデミー賞を受賞経験のある俳優はギャラがとっていない俳優に比べて破格だといわれています。そんな彼らをこの映画では4人も見ることができるのです。そんな映画滅多にありません。
そして、伝説のミュージシャン、エルトン・ジョンの存在です。上記に述べたように、ただでさえお金がかかる有名俳優を数多く起用しているのでは満足できず、伝説のミュージシャンまで呼びました、この映画は。もうとんでもないことになっているのです。
いま一足先にアメリカで公開された「キングスマン2」で、エルトンジョンについて様々な意見が飛び交い議論を各地で引き起こしているのです。伝説のミュージシャンとして、知らない人がいないくらい有名になった彼ですが、
「その生きるレジェンド」をキングスマンほど雑に、かつ無礼に扱っている映画は他にありません。
敵組織ゴールデンサークルのペットのような扱いを受け、しまいにはド派手なオカマの人たちが着るようなゴージャスな洋服をまとい、彼の名曲を披露するのです。これは本当にエルトンのファンからしたら彼を侮辱した形になってしまったのです。
最終的にいい活躍をみせるエルトンジョンなのですが、なぜか腑に落ちない感覚もあるのです。僕個人の意見としてはこの表現の仕方は侮辱した形にはなっていないと思います。
エルトン自身はなぜがあの汚れ役を気持ち良く演じていましたし、なにより裏をかかれました。
映画を製作するにおいて観客の裏をかくということはとても重要な観点になってくるのだと思います。
キングスマンのあの雰囲気であるからこそエルトンジョンをあのように扱うことができ、それがキングスマンにおいてのエルトンジョンに対する最大の尊敬の意を示す方法であったのかもしれません。
ネタバレ
これからネタバレが多少含まれてきますので、ご了承ください。史上最大の敵組織ゴールデンサークルに仲間を殺され、その復讐に燃えるエグジーは最後に残されたカギとなるものを残された瓦礫の中から探し出します。
それを辿っていくとアメリカ中部、テキーラが有名なケンタッキー州に誘われるのです。そこにはアメリカに本部を置くステーツマンと呼ばれる人たちが存在していました。そして、その奥には死んだまずのハリーがパジャマ姿で座っていたのです。
しかし、昔のハリーの姿はそこにはなく単なる蝶研究の好きなおじさんに変わり果てていたのです。昔の記憶を取り戻してハリーと一緒に任務に出向いてほしいエクジーですがそう簡単にはいきません。
一方ジュリアン・ムーア演じる、世界中に完成衣装を引き起こす麻薬を売る女は着々と計画を完成させていきます。最終的に映画お決まりのパターンで記憶が蘇ったハリーは任務に同行します。
これで、完結ではないのでなく、簡単な説明で物語を語ったのですが、詳しく知りたい方は他のサイトで調べてください。
評価
この映画アクション映画のわりにはものすごく映画の尺が長いのです。2時間20分あり、その割には長く感じることはなく最後までアッという間でした。
前回の映画だけとみてキングスマンの解説をこのブログでもしましたが、この映画から映画の方向性に変化が見受けられました。
前作のキングスマンではイギリスを舞台にこじんまりした高級紳士服店が裏で諜報活動で、世界の秩序を守るという話で、雰囲気も相当007シリーズに寄せていると感じました。しかし、第二作目の今作ではその007シリーズのパクリの脱却を図ったのではないでしょうか。
映画の方向性の転換です。
007では各諜報部員にあまり特徴がないの対して、キングスマンではそれぞれ諜報部員に性質があるように思えました。
例えば、ペドロ・パスカル演じるキングスマンはアメリカのカーボーイを彷彿させるような服装に武器がカーボーイの十八番である名がローブを身に着けているのです。
基本的に007シリーズのように忠実で、紳士的なイギリス人を描きたいのですが、少しふざけているのです。
しかもそれはアメリカ映画で見るような下品なふざけではなく、イギリス紳士らしいお洒落なおふざけなのです。
この作風は数映画がある中でも珍しいものなのです。ではどうしてこのような紳士的なイギリス紳士を忠実に描かる反面、お洒落なおふざけが出来るのでしょうか。
アメリカ人が下品なコメディを得意とし、イギリス人がお洒落な紳士的な作風を得意とするのは紛れもなく国民性です。
その両方の要素をバランスよく描けるのは、その両国のことをしっかり知っている必要があります。それを完璧にい理解しているのが、今作シリーズのマシュー・ヴォーン監督です。
彼はイングランドに生まれたのですが、ハリウッドへの憧れからロサンゼルスに拠点を若い時に移しているのです。その後イギリスに再び戻ってきているのですがそのときの経験が、本作シリーズに反映されているのではないかと僕は推測します。
前作では多少作品の方向性がどっちつかずと、まだ見失っているような感覚がありましたが、今作からしっかり筋の通った映画に完成しているのではないかと僕は感じました。
そして、前作の特徴をしっかりと引き続き押さえるもいました。キングスマンの最大の特徴である現在のファッションの最前線を常にいき、彼らのアイテムの全てが今後のファッションのトレンドになるようなそんな感覚をも覚えるのです。
びぇ!