Movie Magic

アメリカ在住大学生が映画を語るブログ

『JSA』を観てイビョンホンはやっぱりイケメンだなと

poster of korean movie JSA

CJ Entertainment

明日がどうなるかわからない。

隣国の敵軍がいきなり攻めてくるかもしれないし、爆弾を放り込んでくるかもしれない。

それは誰もわからない。

 

Joint Security Areaとは?

「JSA(공동경비구역)」は北朝鮮との国境線に在中する北朝鮮兵と韓国兵の禁断の友情を描く。

JSA(=Joint Security Area)は、800m四方の共同警備区域だ。普段決して会うことはない同民族が、唯一と言っていいほど、限られた共有スペース。

でもお互いに睨みを利かせ、一瞬たりとも油断が効かない。そんな緊張が張るこの地域で謎の事件が起きてしまう。

 

朝鮮軍がひとり銃で撃たれて、死んだ。

ただその死にかたを不思議と思った両国は、聞き込み調査を行う。すると両者が語る事実にスレ違いが生じ、調査は難航する。その裏には敵国を超えて、同族ならではの友情物語があったのだ‥というあらすじ。

 

one from south korean and one from north korea are smile

互いの国の帽子を被り合って写真撮影

主演はイ・ビョンホンとソン・ガンホ。ふたりとのとにかく若い!

今となってはふたりとも名俳優となったが、公開された2001年はなんと可愛い美男子なのか、と同姓からも色気を感じる。

今となっては、実力派俳優として花が咲いたソン・ガンホに比べ、イ・ビョンホンはイケメン俳優として国際的に活躍する。

この頃からふたりともスター性を兼ね備え、スパイスの効いた演技を本作では垣間見ることができる。

冒頭であれほどイ・ビョンホンについて言及したが、この人は朝鮮と韓国を描く映画ドラマによく出演していますよね。

 

そんな俳優人生を決めたのが本作だったのかもしれません。というのは、本作は当時の映画館の入場数の記録を塗り替え、歴史的な大ヒットを記録しました。

韓国人が好きそうな熾烈な女の戦いや人間臭さのスパイスが一切聞いていない。非常に政治色の強い社会派ドラマである本作が大ヒットを記録するのは珍しいこと。

それほど斬新で別の角度から朝鮮史を描いたのが本作だけなのかもしれませんね。まどろっこい銃撃戦もなければ、過激な絵もあまりない。

そんな表面的な衝撃よりは、人間の心に眠る感情を掘り起こしてきて、徹底的に暴く。数千年もの間辛い歴史をともに歩んできた同族に殺意を向けながら生きないといけない。

一番気があう気がする友達でさえも、大きな組織がばっさり切り離され、こう言われる。明日からは友達は最大の敵なのよ。

世界大戦がやっと集結し、やっと穏便に過ごせると思ったその矢先、次は親戚が敵になってしまう。

こんなことが世界中で巻き起こったが、同じアジアのそう遠くない場所でいまだにそんなことが続いているという恐怖。

 

一枚の写真の真意を見抜こう

black and white picture, one man with hat for militaly

この写真の裏にある本当の意味

映画は目でみるもの。

だがら予想できない次の展開や印象的な絵がとても重要になってくる。でもそんなときこそ考えたくなる。 

映画は心でみるもの。

写し出される物体として感じるんではなくて、その奥に眠るなにかを感じ取るべきときだってあるよ。まさに本作で映し出される映像なんて、全体像から考えるとこれっぽっちも描いてなんかいない。そして最後にわかる。

この写真が彼らにとってどれほどの意味なのかを。この映画を見た人だけが、この写真を共感てぎ、理解する。なんて素晴らしいことなんだろうってね。

 

びぇ!

韓国映画『グエムル漢江の怪物』あらすじ感想:娘を想う父親と怪獣が社会に訴えかける

poster of korean movie The Host

Showbox
韓国を代表するポン・ジュノ監督の名を国内外に知らしめた名作『グエムル~漢江の怪物~(괴물)』
2006年に公開された本作は、韓国でのべ1300万人を動員し、歴代観客動員数第4位を記録した。
韓国映画界きっての怪獣マニアで、2017年に物議を醸した『オクジャ/Okja』 でも巨大なブタ怪獣をCGで描き切った。
 
2003年公開の彼の代表作のひとつ『殺人の追憶』では、怪獣が出てこないも、情が一切ない冷酷な殺人鬼のお話で、彼の作品では一貫して人間離れした怪獣/人間についてよく扱われる。
 

怪獣グエムルに踊らされる

one strange monster is on the boat

カエルのようにピョンと
本作で暴れまわる漢江の怪物はを下水溝に構えた巣のようなものに、人間を集める。
目的は謎である上、アメリカと韓国両政府はサーズのような病原菌を持っていると警告し、徹底的に除菌活動を行う。
 
6億円もの予算を費やし、怪物の映像化に成功させた。リアリティーのある怪物の恐ろしさに、躍動感のある立ちまわり。
ゴジラにまで巨大化すると現実離れしてしまうため、数十メートル規模のトカゲのような風貌に、水耐性のついた魚介類要素が足されたような怪獣であった。
 
そんなSF感漂う本作の怪獣映画はただの娯楽映画ではない。
それが本作が世界的に評価された理由のひとつだ。
 
物語の冒頭シーンに、アメリカ人研究者と韓国人研究者の間で、漢江の川に猛毒を流してしまうという描写があった。
これはアメリカと韓国の間で実際に国際問題化した事実であり、それを風刺している。怪獣という現実離れした設定を組み込んで、間接的にアメリカ軍のことを痛烈に批判しているのだ。
アメリカだけでなく、韓国政府のずさんな対応や、娘を亡くした家族が泣き叫ぶ場面で、無神経に群がるメディアにも批判の刃を差す。
 

世界の怪獣マニア

one young girl and one old man and one guy with gold hair

主人公の中年金髪はやばい雰囲気漂う
日本人が怪獣と聞くと、一気に童話レベルの陳腐なSF物語を想像するが、世界的にみると怪獣ファンは多い。
 
「ゴジラ」は日本が世界に誇るSFキャラクターなのだ。
アメリカではいまだに「ゴジラ」を映画化するし、本作のポン・ジュノ監督も一貫して怪獣を介して社会的に風刺している。
社会への痛烈な風刺をするのに怪獣という現実とは真逆の方向に位置するものを合わせて描くと絶妙に相性がいい。
 
ポン・ジュノ監督を"韓国の怪獣マニア”と呼ぶなら、「シェイプオブウォーター」などで知られるギレルモ・デル・トロ監督は"メキシコの怪獣マニア"と言える。
「シェイプオブウォーター」は怪獣映画史上初のアカデミー作品賞に輝いた作品で、"怪獣映画界"に大きな布石を残した。
 
本作も表面上は、目の不自由な中年女性と未知の怪獣との恋愛映画であった。
ただ根底にあるのは、マイノリティーのコミュニティ(LGBTQ)の声を代弁した映画になっており、いまのアメリカのあり方について痛烈な風刺をするものであった。
喜劇のような構成に、常に観客の心を揺さぶる音楽。主演のソンガンホは韓国を代表する俳優だけあって安定の怪演を披露する。
 
「麻薬王」や「JSA」、「殺人の追憶」など韓国映画の黄金時代を牽引してきた個性派にしか託せない重要どころを見事やりきった。
他に日本語ペラペラで、「麻薬王」でソン・ガンホとも共演したペ・ジュナが弓の選手役を好演し、「サイボーグでも大丈夫」、「親切なクムジャさん」、「乾き」などのオ・ダルスも出演。
 
感動的なストーリーに、なぜか怪獣にも感情移入してしまうほど繊細に怪獣を描く。まるで怪獣にも感情が存在し、人間のように意思疎通ができるみたく。
それほど各登場人物に共感できる要素を表現し、情緒溢れる作品にまとまっている。最後の戦闘シーンでは、まるでオーケストラを聴いてるかのように壮大に音楽要素を足して、戦いのクライマックスを演出する。
いかにも韓国映画といった感じだが、同じアジアの映画として、起承転結がはっきりした素晴らしい映画になっていたと思う。
 
びぇ!

韓国映画『親切なクムジャさん』あらすじ感想:韓国の清純派代表女優が魅せる恐怖の復讐劇

poster of korean movie Lady Vengeance

CJエンターテインメント

幼女誘拐・殺害の無実の罪を着せられ、13年間の服役を終え出所してきたひとりの女。そんな女が次に企むことはただひとつ。

 

復讐。

 

「親切なクムジャさん」(친절한 금자씨) を観てみよう。

 

女は復讐すると誓った。

みなぎる復讐の念を心に溜め続けた女はついにその邪念を晴らすため、女の復讐劇がはじまる。かつて仲間だった男に裏切られ、最愛の娘は祖国から遠いオーストラリアへ養子に出される。

 
犯罪者の娘など韓国では生きて行けない
美しい女の残酷な殺人はメディアでも大きく取り上げられ、世間のバッシングの的となった。美しい女の残酷な殺害劇などと揶揄され、やってもいない罪で頭をさげ、服役することとなる。そんな彼女はまわりの服役者に"親切なクムジャさん"と言われ、お利口さんに刑務所での生活を過ごす。
 
いつも笑顔を絶やさず、汚れ仕事でさえも喜んで引き受けた。
 
美しいその笑顔の裏腹に潜む殺意と復讐心は、誰も知るよしはなかった。
 
最初のシーンは異変を極めていた。
あたり一面に雪が降る地に犬の胴体で顔は人間男の、ユニコーンのような生物を撃ち殺すクムジャさん。
夢の世界での想像のだろうが、発想は奇抜でユニークそのもの。ヤクザの極道のように、小指を包丁でぶった切ったり、さんざん拷問したあげく、銃弾を額に撃ち込む。
 

国民的清純派がサイコに?

one young lady and one fat lady talking

まわりからのあだ名は親切さん
主演を演じたのは、「JSA」などで知られる女優イ・ヨンへ。
日本でいう新垣結衣のような透明感と圧倒的な人気を誇り、お嫁にしたい女優ランキング1位に輝くなど、男性から熱い視線が送られる。
その人気は韓国国内に留まらず、あの北朝鮮の故金正日総書記がイ・ヨンへの大ファンで、彼女の映画のDVDを持つほど、各方面から絶大な支持を集めるのだ。
そんな絶対的な女優が、復讐に取り憑かれた冷酷な殺人鬼を演じる。にっこりと笑顔を見せる裏腹で、人を拷問し、殺害する
 
考えてほしい。
あの我らの新垣結衣が銃を持って、にっこり笑みを見せながら、引き金を引く。出所後の復讐心に取り憑かれた女の形相と、クムジャさんの切ない過去が同時進行で描かれ、徐々にその心の内が理解できるようになる。
 

知られざる過去

one young lady with Purple shadow

紫のアイシャドーを塗りたくる
目元に太めの紫色のアイラインを引き、復讐に明け暮れるクムジャさん
実はそんな残酷と揶揄された女には悲しい過去があり、昔のピュアだった自分と世間から殺人鬼とバッシングされるいまの自分を重ねて描かれる。
いくら冷酷な女とて、ひとりの娘を愛し、大事に大事に育てようと改心した最中、娘と引き離され、どこへいっても白い眼差しを向けられる。
そんな壮絶な人生を歩んできた悲しい女でも、親切なクムジャさんと言われるほど信頼され、常に笑顔を絶やさない強い女性であった。
 
たとえその笑顔の裏にとてつもない殺意があろうと、ニコッと笑うその笑顔そのままでにとを殺そうと、ひとりの娘であり、親であることは間違いない。
そんな力強い女性を清純派代表のイ・ヨンへが体当たり演技で披露するから現実味が湧くし、彼女への印象の変貌や意外性がはじめてそこで生まれる。
 
"酸素のような存在"と一時言われるほど、その印象がクリーンで清楚なヨンへは憎たらしい顔で殺害を犯すは、若い男の子を誘惑する悪女の片鱗もさらけ出す。
他にも、「オールドボーイ」のチェ・ミンシクや、「7番房の奇跡」や「グエムル漢江の怪物」のオ・ダルスが出演。
 
「麻薬王」で知られる韓国屈指の個性派俳優ソン・ガンホが友情出演するなど、キャストが豪華であり、遊び心がある。
本作を復讐三部作の最終章と位置付けた韓国を代表するパク・チャヌクが監督を務めた。はじめの二作の「復讐者に憐れみを」「オールドボーイ」や、人間ではない存在の三部作を製作するなど、国内外から注目を浴びる。
 
「お嬢さん」ではエロティックな表現にサスペンス要素を入れ、カンヌ映画祭では拍手喝さいを受けた。そんな韓国を代表する監督とザ・清純派代表のイ・ヨンへがタッグを組んだ。
ある女の復讐劇。韓国らしい心強い女性像と予想できないストーリー展開はまさに秀逸だ。
 
びぇ!

本当に怖いのはコロナじゃない

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中国から発生したコロナウィルスは次から次へと感染者を出し、ものすごい勢いで世界中に広まった。国によっては経済活動が停止し、都市封鎖までする国まで現れ、日常生活に支障が出るほどめまぐるしい被害がでている。
 
特に高齢者の致死率とその感染力は想像以上で感染者の数が発祥地の中国をアメリカが超えるなど世界的に大流行してしまっている。アメリカのネットではアメリカの感染者が一位になると自虐ネタであふれたり、地域や人によってその受け止め方は違うらしい。
 
発生直後から迅速な対応と若きエンジニアの活躍によってほとんど感染を許さなかった台湾、イタリアからヨーロッパ全域に多数の死者を出してしまったEU諸国、そして「俺らは大丈夫だもん、だってアメリカだぞ」と言ったようにあぐらをかいていたアメリカ、そして世界中からなぜこんなに感染者がでないのか理解できないと専門家を唸らせた日本。国によってその国民の受け取り方や対応が違う。
 
今回のコロナウィルスへの捉え方を見ていると、文化の違いやその国の危機管理能力など国によって全く違うウィルスなのかと勘違いしてしまうほど対応の差が激しい。コロナの感染経路をチャプター毎に辿って行くと、
 
Chapter 1 : アジア
Chapter 2 : ヨーロッパ
Chapter 3 : アメリカ
 
といった順に感染が拡大していった。Chapter1で発生源の中国はもう既に85%以上が正常運転しているなど、過去に何度もウィルスを封じ込めてきた中国の対応は迅速な対応と都市を丸々閉鎖して病院を一週間で作ってしまうなどさすがとしか言えない。
 
WHOとの癒着や情報の隠蔽など中国らしい問題はあるが、あれほど大規模に感染拡大を食い止めたのは正直驚いてしまった。2003年のSARSのときも都市閉鎖からの病院を作ってしまう今回のような対策は今の西洋諸国にはできないことだろう。
 
では中国が必死こいて病院作りをしている頃、ヨーロッパでは何が行われていたかというと、人々は人混みでサッカー感染やらクラブでいつものようにしていたのだ。中国や韓国で急拡大する中、Twitterではヨーロッパの人たちが集団でサッカーを応援したりしている映像がごまんと流れてきていた。
 
その後、数日でヨーロッパ全域に感染が拡大、イタリアでは猛烈な被害を出すほどまで発展し、最終的にイギリスのジョンソン首相まで感染してしまう事態に。彼がTwitterで感染したことを発表すると、感染者と気楽に交流していた彼に厳しい言葉が降りかかっていた。
 
ではその頃アメリカでは?というと相変わらずトランプは再選しか目にないし、株価が暴落をはじめると、中国ウィルスと名指しで批判し、国際社会から白い目で見られていた。
 
結果的に既に「中国ウィルス」は人種差別にあたるとして、さすがの彼も途端に使うのをやめたが、この状況下で経済活動を再開するといいはじめるなど空いた口が塞がらない。
 
さらにワクチン開発を行っていたドイツ企業にアメリカへ独占供給を裏で交渉していたことが表向きになると、再びトランプはEUから集中攻撃される。
ここまで自己中心的な人間が一国の大統領になぜ未だに座っているのか疑問でしかないが、アメリカのコロナへの医療は本当に馬鹿げている。
 
CPR検査を受け陽性だと無料になり、陰性だと検査料1,200ドルかかる。そしてコロナへの財政出動で最大1,200ドルのチェックが全国民に配られるのが決定したが、陰性の時点で補償額がそのまま持って行かれる。は?は?は?もう怒る気が失せて失笑してしまう。
 
悪口を書き始めると終わる気がしないので、ここで一旦別の話題へ。アメリカに住んでいる日本人として正直コロナは大きな問題ではない。もちろん心配はしているが、感染症の拡大より危惧していること、それは人種差別だ。
 
トランプが中国ウィルスと名指しで発言したことで全く関係のないアジア人が標的になり、世界中で悪質な人種差別が後を絶たない。イギリスで暴力を振るわれたシンガポール人留学生や中東で日本人女性がコロナ呼ばれされ、髪を引っ張られる事件など世界中でアジア人に対する差別行為が横行しており、トランプは間違いなくその差別に加担したのである。
 
僕の住んでいる北カリフォルニアはCAとしては白人が大半を占める珍しい地域なため、アジア人は体感で数えるほどしかいない。さらにCAは民主党支持の州だが、僕の地域はCAの中でも珍しい共和党支持が過半数を占める地域だ。そんな状況でコロナの感染がアメリカを襲ってきている。
 
僕はコロナという伝染病と戦うプラス、人種差別という見えない新たな敵の両方と戦わなければいけないのだ。実際悲しいことにコロナの感染が知れ渡ってから人種差別をされる機会は多くなった気がする。
 
アメリカに住むアジア人として人種差別はあるのでしょうがないが、コロナという感染症と人種差別のダブルパンチを食らい、倒れては起き上がり立ち向かうことを繰り返している。
 
それを裏付けるように、銃器店にはアジア系の人たちがこぞって集まり銃を買い占めるおかしな社会現象が全米各地で起こっており、白人がトイレットペーパーを買い占めている中、アジア人は銃器の買い集めをするという少し面白い現象になっている。
 
普段から街中にアジア人がいるだけで少し目立つので、僕のことを知らなくても見たことある人は多く、そこまで過激な暴力沙汰はないと思っているが、彼らはブラックジョークとして帽子をマスクのように口元に当ててニヤニヤしたり、小学生程度の差別行為は確実に増えた。
 
渡米した当初は一回されるだけで結構萎えたりしたが、もう二年もこの国に住んでいるとそんなものは挨拶にしか見えず、ただPoor Guyと心で思うだけだ。これは僕の個人的な意見だが、ある程度人格形成されてると人種差別を治すのは容易ではないと思うので、ただ無視するだけだが、友達によっては毎回のように怒る人もいて少し尊敬する。もうそんなバカにエネルギーを僕は割きたくない。
 
最後に日本について海外に住んでいる身として感じたことを書き残しておきます。上記のように世界からみると、日本でのコロナの感染状況に首を傾げている専門家は少なくない。
 
発生源の武漢を一瞬で閉じた中国ですら国中に感染を許してしまったのに、まともに入国制限を初動から引かなかった日本にはなぜこんなに感染者がいないのか彼らは不思議なのだ。
 
検査をした母数が圧倒的に少ないから数字として出てきていないだけ説や国民ひとりひとりの予防への対応がきっちりしている説など、専門家によって意見が分かれるが、理由はひとつではないことは明確だろう。
 
ただ日本の友達のインスタや家族から聞いたところによると、彼らはいまだに桜を見に密集した電車に乗って人が密集する桜を見に行ったり、何も気にすることなく海外旅行にいくなどあまり日本人がコロナに敏感に対応しているようには見えない。
 
海外のTwitterアカウントをフォローしていると世界各国のコロナへの危機管理力が相対的にわかるが、日本がヨーロッパに比べて特別対策をしているとは思えず、なぜこれほど巧妙に封じ込みに表向きには成功しているのかイマイチ理解できない。
 
ただ日本人は西洋諸国よりは、データによると普段から最低限のエチケットとして手洗いやうがいはしているようなので、日々の生活週間に差がでているのはあるかもしれないが、真相は謎である。
 
僕がこのコロナを通じて最も言いたいことは人間の同調圧力がいかに怖いことかである。急激な感染を許してしまった国たちに共通することは、まわりが心配していないから外出は別にいいかとか、みんなが桜を見に行ってるから大丈夫だという感情はとても危険なこと。
 
例え若者にはあまり深刻な病気でなかったとしても若者層が無意識のうちに高齢者の人たちに感染させ、免疫力の低い彼らが苦しい思いをしてしまう。他にもアメリカ人はマスクは病気の人がする人であり、あまり効果がないと本気で思い込んでいる人がとても多い。
 
だからいくらコロナが急拡大しようと彼らはマスクをしないし、マスクをしている人をみるとコロナ感染者だと白い目で見られる。さらにマスクをしている人がアジア人だと疑惑が確信に変わってしまう。
 
本記事に書かれていることは僕個人が実際に感じたことであり、コロナへの対策や真相は専門家ではないのでわからない。だが、コロナウィルスというパンデミック下で色んなことが明確になった気がした。
 
読者の皆さん全員が健康なことを祈ります。

イラン映画『セールスマン』あらすじ感想:広がる狂信主義&ナショナリズムと根強く残るイランの男女差別

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Memento Films Production
平凡な日々が続くとは限らない。
毎日それとなく生きていても、明日死ぬかもしれない。
 
世界的に安全な日本にいると、日々安全に暮らせていることが当たり前になるような気がする。
悪いことをする人は信用を失い簡単には生きれなくなるし、それが重ければ、重いほ社会からの締め付けも厳しくなる。
殺人をすれば、長い期間刑務所に入らないといけなくなる。当たり前のことだが、今回紹介する映画は、そんな常識が全く通じない、日本からはるか遠い国イランを舞台にしたお話。
 

男尊女卑とイランとイスラム

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明るかったはずの未来
2016年製作の「セールスマン(فروشنده)」はアスガル・ファルハディ監督のイラン映画。本作は劇団に所属する、教師のエマッドと妻ラナの若いカップルの物語。
 
ある日妻がひとりで家にいるとき、何者かが押し入り、レイプされてしまう。妻ラナは、頭を縫うほどの大怪我をし、極度のPSTDにかかってしまう。エマッドは警察に訴えることを望むが、妻ラナはそれをかたくなに拒否をする。
 
やがてエマッドひとりで犯人を追う。肉体的&精神的なダメージを負った妻は、昼はひとりでいるのを恐怖に感じ、夜は夫でさえも受け付けなくなってしまう。
夫のエマッドは早期の解決を望み、警察に捜査を依頼することを望むが、妻ラナはそれを望まない。
これには根底にあるイランの男女の差別意識が深く存在しているのだ。
 
すべての人間が平等なはずなのに、女性は男性より立場が弱い。これを1000年以上前から存在するイスラムの法律が保証しているものなのだ。
それにより、女性が裁判に立とうとしても、男性の証言の方が重要視されるし、命も価値すらも男性の方が重宝されるのだ。
 
警察に訴えでても、女性だからという理由だけで、不当な判決を出されるし、裁かれるべき加害者が救われる。
法律がそれを保証しているし、それ以上に偏見が女性の生きる幅を狭めている。被害者なはずなのに、社会からの目は厳しくなるし、社会的な見えないレッテルを貼られてしまう。
 

被害者が泣き寝入りする状況

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ギクシャクする夫婦間
なにも悪いことをしていないし、ただ健全に日々の生活を送りたいだけの若い女性はこうして見えない社会的な制裁を受けざるを得ないのだ。
肉体的にも、精神的にもダメージを受けたにもかかわらず、一番辛い思いをしている被害者が泣き寝入りをする。
世界からみても内情がわかりにくいイランの実態をリアルに描き出す。被害を受けているのは自分なのに、露骨に周りの目が豹変するし、その事実を周り言えず自分で抱え込んでしまう虚しさ。
 
"劇団の人に言わないでね"
 
と夫エマッドにいうシーンも、見ている観客が悲しくなってしまう。
タイトルの「セールスマン」は有名な戯曲「セールスマンの死」から着想を得ている。
本編で劇団員のふたりは「セーするマンの死」を演じている。
 
インタビューの中で、ファルハディ監督は戯曲「セールスマンの死」の主人公LindaとWilly Lomanと映画の主人公ラナとエマッドを重ね合わせたと語った。
セールスマンのWillyの死を通して、いまのイランへの静かな風刺と同時にエマッドの暴走と共鳴する。
 
2015年ごろから脚本の執筆に取り掛かったファルハディ監督は、同じく有名な戯作家ヘンリック・イプセンやジャン=ポール・サルトルなどの戯曲で挑戦し、スペイン語作品になる予定だったという。
イランが置かれている実情を訴えるため、舞台をテヘランに移し、本作が撮影された。ある有名な戯曲を通して、描かれるセールスマンの死と現代社会への風刺が描かれた。
 

 イラン政府と映画

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1979年のイラン革命以降、イスラム教の最高指導者が政権を握っている。米大統領トランプ政権誕生以降、両者は対立を深め、緊張状態が続いている。
世界的にみても、イランという国はとても閉鎖的。国が西洋文化に否定的なため、イランという国がどういった国なのかがいまいちピンとこない。
そんな閉鎖的な政治とは打って変わり、イラン映画はいまとてもアツい。
 
「桜桃の味」や「風の吹くまま」で知られるアジアを代表する巨匠アッバス・キアロスタミ監督がイラン映画界を牽引し、彼が亡くなった後も、弟子が活動の範囲を広め、世界的に有名になっている。
弟子のひとりのジャファール・パナヒ監督は「白い風船」や「人生タクシー」など、初期のキアロスタミ作品の「友達のうちはどこ?」などに作風が似る。
一方、本作のアスガー・ファルハディ監督は、ヨーロッパ映画の流れをくむような、計算された脚本が有名だ。
 

アカデミー賞授賞式で語られた感動スピーチ

ファルハディ監督は「別離」と本作「セールスマン」これまで2度のアカデミー賞を受賞している。本作が2度目のアカデミー賞外国語映画賞に輝いたときの授賞式はとても印象的だった。
イランを含む中東6カ国に対してアメリカに入国が禁止されていたため、監督本人が出席することができなかったのだ。
映画は人種・国籍・性別関係なく全ての人に平等にあるべきはずが、イラン出身だからという理由だけで、その名誉を受け取ることができない。
実際にそのアカデミー賞をリアルタイムでみていた筆者は、別に人間が監督自身のメッセージを読んでいる場面を目にし、感銘をうけた。
 
その手紙にはこんなことが記されていた。
My absence is out of respect for the people of my country and those of the other six nations who have been disrespected by the inhumane law that bans entry of immigrants to the U.S. Dividing the world into the us and our enemies categories creates fear, a deceitful justification for aggression and war. These wars prevent democracy and human rights in countries which themselves have been victims of aggression. Filmmakers can turn their cameras to capture shared human qualities and break stereotypes of various nationalities and religions. They create empathy between us and others 
 
ざっくり要約すると、イランを含めた6カ国への差別的なアメリカの対応に対しての反発や世界中に広がりつつあるナショナリズムと排他的な考え方にめっぽうから反対を表明した。映画監督として、映画は人々を人種・国籍・性別を問わず、繋ぎ合せてくれると。
いまの世の中の動きに反発すると同時に、イランの男女差別に立ち向かったあるセールスマンはこうして世界にその実情を訴えかける。
 
びぇ!

イラン映画『人生タクシー』感想ネタバレ:車載カメラから覗くテヘランの日常

 

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Jafar Panahi Film Productions

こんちくわ!Shygonです!

今回は他に類を見ないイラン映画

人生タクシー

について熱く語りたいと思います!

2015年に製作された本作は、イランの街中で監督自身がタクシードライバーに扮して、イラン国民の一般的な日常をドキュメンタリータッチで描いた作品です。

イラン出身のジャファール・パナヒはその反政府的な描写から、イラン政府から監禁され、映画を20年間作れない。

そんな中その監視の目をかいくぐって、製作されたのが本作。

多くの芸術家がイランから出国する中、唯一国に残り、制裁を受けながらも映画を撮り続けています。

 

ジャファール・パナヒのルーツを探る

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ベルリン映画祭で金熊賞に輝いた

映画監督が自ら運転して、タクシードライバーに成りきる。俳優でもそんな演技をさせられる映画は少ない。

パナヒ監督は度々なるイラン政府への批判を映画で表現したため、自宅軟禁され、2010年から20年間映画製作を禁止されている。

というとてつもない背景が本作にはある。

2000年に公開された「チャドルと生きる」では、イランの凄まじい環境中、生きる女性の奮闘を描きました。

本作はイラン政府を痛烈に批判しているとして、自宅軟禁の処置が取られました。でも簡単にそんなのに屈しないのがパナヒ監督の底力です。

2014年に製作された「これは映画ではない。(this is not a film)」では、外出が許されない自宅で、自身の生活の一部をドキュメンタリータッチで描き、検閲の目をかいくぐり、カンヌ映画祭で発表されました。

これまでも女性がサッカーを見ることが出来ないイランを描いた2006年製作の映画「オフサイドガールズ」など、前代未聞の作品がずらり。

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人権弁護士 Nasrin Sotoudeh

 

そして、2015年本作が発表されました。

本作には、イランで有名の人権弁護士Nasrin Sotoudeh(彼女も自宅軟禁されたり、パナヒ監督と同じ遭遇を受ける)がゲスト出演したり、実際の姪が出てくるなどリアリティーが追求されました。

 

ジャファール・パナヒ監督のキャリアはイランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督のもとで助監督からはじめました。

イラン映画の父とまで評されるキアロスタミ監督の作風に影響されたような描写があらゆるところでみれるのも特徴です。

キアロスタミ監督がパルムドールを受賞した1997年製作の「桜桃の味」の構成みたく、車でテヘランをグルグル運転するのは本作と共通する箇所ですね。

 

イランの日常を描いたキアロスタミ監督にかわり、パナヒ監督はイランのダークな部分を描くのがひとつの特徴です。ペルシャ語で"Siáhnamá’í "と呼ばれます。

本作は、ベルリン映画祭で最高賞にあたる金熊賞に輝きましたが、パナヒ監督が自宅軟禁なため現地に行けなかったため、甥Hana haeidiさんが賞を受け取りました。

 

車載カメラからイランを覗く

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Jafar Panahi Film Productions

映画を公の場で撮ることが許されていないパナヒ監督が編み出した今回の企画は車載カメラです。首都テヘラン市内をタクシードライバーに扮して、イラン国民の日常を描きました。

普通の映画のように作り込まれたストーリー性に、考えられたカメラワークなど一切通用しません。

ただ行き渡りばったりのドキュメンタリーぽく本作はザツに撮影されています。画質もよくないし、画角もブレていて正直見ていて心地よくない。

だか、飲み込まれるようにこの映画を観てしまう。それはパナヒ監督が政府からイジメられているという特質な状況下であることと、世界的に評価されてきた監督だからこそなせる技なのです。

 

そんなパナヒ監督の目に映るイランの実情を本作が描く。アメリカと続く対立など世界から見ても閉鎖的な国であるイランの内情は正直僕らからはわかりません。そんな状況の中、イランで長く住む監督だからこそ描ける、伝えられることがあるのです。

 

そんな日常の一部を本作を通して垣間見ることができます。

 

客が車載カメラを見て言う。

これなに?ねぇ?なによ?

防犯装置?

パナヒ監督が答える。

まぁそんなところだよ!

それに男が応答する。

かっこいいじゃん!

 

映画では見られないザ日常会話の一部始終。

次に夫婦での口論。

ある男が突然口を開く。

国は見せしめのために

泥棒を2.3人死刑にすればよい!

それに対して

怒った女性は言い返す。

貧しい人が食べ物に飢えてやったのだ!

と、男の歪んだ理論に真っ向から反論。

 

一見夫婦間の喧嘩に思えるけど、実情場夫婦ではなかった。イランのタクシーでは乗り合いが普通で、同じ方向に行くなら一緒に乗っけていくのが普通なのだそう。

そんな夫婦間のしょうもない口喧嘩からもイランの内情が浮かび上がってくるのです。それは死刑数が中国に続いて多いということ。犯罪を犯したら、はい!あなた死刑ね!と普通に人が法のもと殺されてしまう。

 

パナヒ作品のオマージュ

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Jafar Panahi Film Productions

本作を観ていると一般市民が映画にバンバン登場してくる。

なので、わかる人には、あ!パナヒ監督だ!またなにか映画撮ってるんですか?と質問したりする会話が多々出てくる。

 

パナヒ作品を愛する人たちからはそんな彼の過去作品の話で盛り上がったりもする。

例えば、ひとりの客が立ち去るとき、

「クリムゾンゴールド」のカフェのシーンに似ているね!と発言して出て行ったり。

 

実際の姪がパナヒ監督の運転するタクシーに出てくる。

「鏡」の主人公みたくひとりで帰るよ!

とダダをこねる。

幼いくせして大人顔負けのウザさ、イランの女性も強そうですよね。でも、姪との会話が結構面白くてさ

幼いガキの少女がいっちょまえに、

賢くて教養のあるレディーはカフェかなんかでアイスかコーヒーを頼んでから会話を楽しむのよ。とおじさんに一喝しちゃう。

どの口が言ってるんだ、ボケ!と思わずニヤリと。

そんな新感覚な映画が人生タクシー。

 

びぇ!

イラン映画『オフサイドガールズ』あらすじ感想:女性がサッカー観戦ができないイランの内情

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Sony Picture Classics

こんちくわ!Shygonです!

今回はサッカー観戦をしたいイラン女性を描いた

オフサイドガールズ

について熱く語りたいと思います!

2006年に製作された本作は、女性が男性の競技を観戦できないイランを舞台に、サッカー観戦をしようとする女性たちを描いた作品です。

イランの巨匠ジャファール・パナヒ監督がドキュメンタリータッチで、いまのイラン政府を風刺します。

度重なるイラン政府の批判から、自宅軟禁と映画製作を禁止されているパナヒ監督が仕掛ける話題作。

 

サッカーが観たいという気持ち

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Sony Picture Classics

中東に位置するイラン。日本からあまり馴染みがなく、ただ治安が悪いと思われがち。でも実際にお隣のイラクとは違い治安は悪くはないらしい。

ただ日本には、イランが一体どんな国なのかがイマイチ見えてこないのも現実だ。言論統制がいまだに続いており、数多くの著名人がイランから脱出し、移住をしているものまた事実としてある。

そんな先行きが見えないイランで唯一と言っていい、イラン国内で活動を続ける監督がいる。それが本作で監督を務めたジャファール・パナヒだ。

 

本作がはじまるとき、こんな字幕で本作は幕を開ける。

 

"イランでは女性が男性の競技を観戦できない。"

"本作は2005年6月のワールドカップ最終予選"

"イラン対バーレーン戦の最中に撮影された。"

 

サッカー観戦を女性ができない!?日本では信じられない光景たが、イランではそれが普通だ。女性軽蔑やイランに蔓延る裏の実情を切り取る。

数々のイラン政府への批判で、パナヒ監督は20年間の映画製作の禁止、そして自宅軟禁に課せられた。それほど彼は命をかけて、イランの実情を国内外に訴えている

 

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Sony Picture Classics

男性のような格好をし、帽子を深く被る。全てはサッカーの観戦をしたいがために、一般的な女の美を捨てた女性。

イランでは、イスラム教の女性がかぶるアヤバと呼ばれる顔を隠す布をわざと外し、男性になりきる。サッカーを見るために

正直日本の感覚からすると理解できないが、そんな馬鹿げた考えがいまもイランには根付く。宗教的な考えを否定したくないが、時代の変化に伴って、柔軟にルール改正をすべきでないか。と本作はさらっと訴えているように思える。

 

サッカー場に横に併設する簡易的な収容所には、サッカー場に入ろうとした数人の女性が、囚われていた。

男女の固定概念がきっぱり存在し、女性がしていいこと、男性がしていいことが明確に存在する。

トイレに行きたいと言っても、女性自体がサッカー場にいることがまずいからと、サッカー選手の紙を被って顔を隠す。

もう見ていて、馬鹿らしくなって思わず笑いが溢れる。でもこんなふざけたことがいま実際に、世界のどこかで当然のように行われている。

 

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Sony Picture Classics

言論統制がいまだに行われ、イランの実情がどうなっているのかが、正直わからない。ニュースで画面を通してみるイランと、実際のイランは180度異なっていると考えてもいいくらいだ。

そんな本来のイランを観察する意味でも、イラン国内から描かれるイランの実情ほどインパクトのある映像はない

自身のキャリアを捨ててでも、命を張って描き続けるパナヒ監督の自国にかける思いがいまわかるような気がする。

 

そんな一風変わった作風に、アッと驚くようなイランの実情を描いた本作は、ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)に輝いた。

パナヒは2015年に発表された「人生タクシー」で金熊賞(最高賞)を受賞した。そんなイランのみならず、世界から注目されるパナヒ監督がイランのサッカー観戦を題に、イラン政府に宣戦布告する。

 

びぇ!

イラン映画『白い風船』感想ネタバレ:はじめてのおつかい、金魚を買う

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October Pictures

こんちくわ!Shygonです!

今回はイランの出身の注目の監督の初作品

白い風船

について熱く語りたいと思います!

1985年に製作された本作は、7歳の少女が大きくて可愛い金魚を買うために、イランの小さな街を奔走するお話。

イランの巨匠アッバス・キアロスタミが脚本を務め、弟子として知られるジャファール・パナヒが監督を務めた初監督作品。

  

ママ、金魚が欲しいの!

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October Pictures

7歳の女の子が金魚をおねだりする。彼女の手にある青い風船が風に揺られる。お母さんに黙りない!と怒られ、涙を流してしまう。そんなどの家庭でも起こりゆる光景からはじまるだんまりとした映画です。

 

"泳ぐのがダンスしてるみたいなの!"

"太っててとても可愛い!買ってよ!"

"ねぇ~ママ~!!!"

 

これから新年を迎えようとするイラン国内では、大人たちは大忙し。年の変わり目はどのお母さんも忙しいのだ。

買い物に、洗濯、子供の世話。ひとりの少女の願いなど聞いてもくれない。新年を前に大忙しなんだから、ダダをこねないで、と言いたいようだ。

せっせと働く大人たちとのどかに金魚を見つめる少女は同じ地にいるとは感じられないほど、両者が生きる世界は違って見える

 

脚本を執筆したキアロスタミ監督が有名俳優を使わず、素人にこだわるように、監督を務めたパナヒ監督も同様の手法にこだわる。

キアロスタミ作品同様に、素人とは思えない演技力やよりリアリティーを感じさせるようにイランの日常を描く。

 

パナヒとキアロスタミ初タッグ

イランを飛び越し、世界を代表する巨匠アッバス・キアロスタミ監督が脚本を務め、彼のもとで助監督をしていたジャファール・パナヒ監督の初監督作品。

はじめにアッバス・キアロスタミとジャファール・パナヒとは誰なのか。両者ともヨーロッパの映画祭で評価されるイラン出身の監督である。

 

日本の巨匠小津安二郎監督の影響をもろに受けたと語るキアロスタミ監督の作風とパナヒ監督の作風は似たものを感じる。

ただ男の子の純粋な気持ちから、青年の思う恋心など、主に男性目線で描いてきた師匠キアロスタミ監督とは、うってかわり、女の子目線でイランを見つめる弟子パナヒ監督

 

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October Pictures

どちらも幼い子供たちがめまぐるしく生きる大人社会に適用しようと奮闘する。そんな可愛らしさの反面、イランの実情を間接的に描こうとした。

 

必死の交渉の末、金魚を買うお金をもらった少女ラジエー。可愛い金魚を飼うため、お小遣いを握りしめて市場に向かう。

途中、変な詐欺師にお金を取られ、返してくれない。その男は蛇使いで、大道寺のように上手い口車に乗せられてしまう。

7歳の女の子が勇気を振り絞って、もらったわずかなお金を募金させようとする立派な男たち。彼女にとっては、なんて厳しい世の中だろうと、感じてしまう。

師匠のアッバス・キアロスタミ監督の出世作として知られる「友達のうちはどこ?」で6歳の男の子が友達の宿題を間違って持って帰ってきてしまい、それを友達の家に届けるお話に、本作はとでもよく似ている。

www.shygon.com

 

7歳の女の子が大きくて綺麗な金魚を買うために、市内を駆け巡る。幼い男女がはじめて、大きな一歩を踏み出し、大人の世界というものを味わう。

 

本編で、よく出てきたひとりのおじさんはチャリを漕ぎながら

"海は荒れている 兄弟よ"

と何回も連呼し、そんなシーンが多々出てくる。海は荒れているぞ!と兄弟たちに投げかけるように、7歳の少女の荒波に向かって、はじめてみる社会へひとりで飛び込む。

 

映画自体は淡々と少女が街を駆け巡るお話だが、本作は国外で高く評価された。デビュー作としては、珍しいカンヌ国際映画祭でカメラドールを受賞し、BFIが選ぶ14歳までに観るべき映画ベスト50に選出された。

これはキアロスタミ監督の処女作「友達のうちはどこ?」も選ばれている。つまりキアロスタミ監督とパナヒ監督は師弟関係ながら、全く同じスタートを切った。ここから両者の作風は違った方向へと変化してゆく。

本作で戦列なデビューを飾ったパナヒ監督は、のちにイラン政府から自宅軟禁にされたり、映画製作を禁止されたり、世界的に映画に対するその熱い気持ちが評価される。

 

びぇ!

イラン映画『桜桃の味』感想ネタバレ:自殺を決めた男から見えてくる生と死の倫理観

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Zeitgeist Films

こんちくわ!Shygonです!

今回はカンヌ映画祭を賑わせたイラン映画

桜桃の味

について熱く語りたいと想います!

1997年に製作された本作は、カンヌ映画祭の最高賞にあたるパルム・ドールを受賞したイラン映画。

イランを代表する巨匠アッバス・キアロスタミ監督の最高傑作です。

 

あらすじ

イランの首都テヘラン。

テヘラン全体を覆う炎天下の中、ひとりの中年男性はただ車を走らせながら人探しをしていた。

人生を終わることを決めたバディは自分が亡き後、その後始末を担ってくれる人間は探していた。

自殺することを決めて、軍に入隊したばっかりの新人軍人さん、アフガニスタン出身で神学を学ぶ学生、博物館で働く老人など一度説得するも断られるバディ。

そんな平凡な時間はこくこくと過ぎて行き、バディの心の中が徐々に剥き出しになって行く。

 

桜桃の味を噛みしめる

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Zeitgeist Films

イラン出身の映画監督として、国内外で高く評価されるアッバス・キアロスタミ監督。

その独特の世界観でイランの日常を断片的に描く様は異様な空気にいつも囲まれているような気がする。

 

世界最大のカルピ海に面する小さな村コケールを舞台にイラン国民の日常生活をドキュメンタリータッチで3作描き続けた。

日本からするとあまり馴染みのない中東の国がこうした形で日本に浸透している。「コケールトリロジー」3部作では、ただただイラン人の生活する様子を現実と創作の中で描き切った。

 

1997年に製作された本作は、キアロスタミ監督の集大成とも言える作品で、同年のカンヌ映画祭では最高賞にあたるパルム・ドールを今村昌平の「うなぎ」と共に受賞した。

 

それまで現実と創作の間について長らく議論し続けたキアロスタミ監督が、描いたのは生と死。中年男性が首都テヘランをウロウロ運転しながら、自分の最期について説こうとした。

自分の死後に、大金を払うから、事後処理をしてほしいといういっぺん変わった依頼を受けてくれる人を探しては、ウロウロする。

イスラム教の教えが根強く残るイランでは、多くの人が自殺は誤りであると考えている。

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Zeitgeist Films

100分程度の本編では、主人公が街中で見つけた3人の男と交渉する様が描かれる。

1人目は軍隊に入ったばっかりの新人軍人。優しそうでちょっとか弱そうな青年は、ヒッチハイクをして寮に帰る途中、主人公バディに拾われる。いかにも怪しい仕事に、怖気づき最後は車から逃げ出してしまう。

2人目は隣国アフガニスタン出身の神学生。神学を専攻する真面目な青年は学費を稼ぐかたわらアルバイトをして生計を立てる。

そんな彼はバディの自殺について、イスラムの教えにのっとり、自殺を食い止めようとした。体は神様からの賜物であるから、決して無駄にしてはならないと。これも結局バディを説得することができないで終わる。

3人目は博物館で働く老人バデリ。これまでの若くてエネルギッシュな若者2人とはうって変わり、のんびりとバディと会話を楽しんでいるように見えた。

 

隣国トルコの詩を用いて、高度な会話をする。3人とも会ったばっかりの赤の他人の話を親身に聞き、やがて引き止めようとする。

バディのその決断は揺るぐことがなく、独特の持論と方法で命を終わる準備に取り掛かる。

 

一風変わった倫理観

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Zeitgeist Films

その自殺の依頼とは何なのか。

それは至って簡単なものである。

バディは丁寧に毎回説明する。

 

"君は明日の朝6時にここに戻ってくる。"

"僕の名を2回呼ぶ。"

"バディさん。バディさん。"

"生きてたら起き上がって返事をする。"

"返事がなかったらシャベルで20杯穴にかける。"

"そして、トランクにある20万トマンは君のものだ。"

 

本作はアッバス・キアロスタミ監督の代表作として1番有名な作品であると思う。なので彼の名前を聞くとこの作品を思い浮かべるであろう。

 

でも、彼のキャリアのはじめは作風がガラッと変わっていた。

のどかなイランの田舎を舞台に、人々が生活する様を描く「コケールトリロジー」やドキュメンタリーまで撮った。

彼が生と死について説きはじめ、代表作は本作の「桜桃の味」と「風の吹くまま」であろう。

 

イラン北部のクルド人村の不思議な葬式をインタビューするためにテヘランからジャーナリストがくるというお話の「風が吹くまま」では、中々葬式が行われない中で、ジャーナリストがついに痺れをきたすというストーリーだ。

 

「風の吹くまま」とは全く違った角度から生と死について説こうとしたキアロスタミ監督。映画として研究する日々が始まった。

 

びぇ!

 

イラン映画『風が吹くまま』感想ネタバレ:クルド人の不思議な葬儀をジャーナリストが暴く

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New Yorker Films

こんちくわ!Shygonです!

今回はイランの一風変わった日常を描く映画

風が吹くまま

について熱く語りたいと思います!

1999年に製作された本作は、2000年代(日本などの主要国の公開日は2000年初頭なため)を代表する素晴らしい作品のひとつと賛美されるほど世界的に認知度の高い作品。

イランが誇る巨匠アッバス・キアロスタミが監督脚本製作を務め、イランのクルド人村の奇妙な葬式に潜入するテレビプロデューサーを描く。

 

あらすじ

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New Yorker Films

「風が吹くまま (باد ما را خواهد برد)」

イラン北部の田舎町。

クルド人村では、人が亡くなると独特の葬儀が開かれると、首都テヘランからジャーナリストが取材にくるのだった。

死に直面したお婆ちゃんの葬式を取材するはずが、体調が急に良くなり、ジャーナリストたちは田舎町で途方に暮れてしまう。

電話をするために、丘の上までわざわざ行かないといけないほど、電波の悪い田舎町に滞在すること2週間。

ついにシビレをきたしたジャーナリスト ベーザードは散々とした街を散策しはじめるが‥

 

キアロスタミ監督が描く生と死

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New Yorker Films

ヴェネツィア国際映画祭でグランプリに輝くなど、キアロスタミ監督のすべてが詰まった集大成の映画。

原題"The Wind Will Carry Us"はイラン詩人ファロウグ・ファログハッドの同名詩から名付けられた。

アッバス・キアロスタミ監督は「コケールトリロジー」3部作で評価されると、前作「桜桃の味」ではパルム・ドールを受賞しました。

2016年に亡くなるまで、日本でも映画を撮影するなど、晩年までアジアを代表する巨匠として、影響を与えた。

キアロスタミ監督の特徴はイランの日常をドキュメンタリータッチで描くのに長けています。

小津安二郎監督の大ファンであり、彼の作品の至るところで小津調の傾向が見受けられることでも有名。

 

クルド人村の日常を覗いてみる。

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New Yorker Films

イラン出身のアッバス・キアロスタミ監督は自身の故郷イランを舞台に数多くの映画をこれまで撮ってきました。

首都テヘランを舞台に、自殺することを決めた男のシュールなドラマやカルピ海に位置するまどかな村コケールを舞台に男の子の日常を切り取ったり‥

日本をはじめ海外を舞台に映画を撮ることはあっても、自国イランの日常生活に存在するイランの魅力を常に切り取り描いてきたのですら、

 

作でキアロスタミ監督が選んだのはイラン北部のクルド人村。

首都テヘランから来るジャーナリストたちは、まるでその田舎町をはじめから見下しているような目つきに、その不便さを毛嫌いしている態度があらわに映される。

 

ただ目の前に広がる、ありきたりの日常を当たり前のように描く。だから映画として、起承転結がはっきり別れてて、ストーリー性が必ずしも存在しない。

どの家庭にも存在するような夫婦間の喧嘩から幼い少年たちの日常まで誰もが一度話経験してきたことをただ切り取っているように見えてしまう。

 

例えば、街はずれのカフェでの会話。

カフェのオーナーをする中年女性がある些細なことで村の男性と口喧嘩を始めてしまう。

女性の仕事についていちゃもんをつけられた気の強いオーナーはシュールな返しを見事に決める。

 

"女の役目は3つ。"

"昼は家事"

"夕方はカフェ"

"夜は共同作業"

 

ジョークを混ぜ込んだアタックに男性諸君はたちまちキレはじめる。

 

"おれは刈り入れでグッタリれ"

"一日中汗水垂らして働いている!"

"それに比べてお前は珈琲入れてるだけだろ!"

 

もう怒りは頂点に。引き返せないオーナーはすぐさまジャブを入れ返す。

 

"じゃあ私がぐうたらしてるって?"

"ふざけるんじゃないわよ!"

 

喧嘩になると理性が効かなくなる女性オーナー。まだ論理的にことを進める農夫。

 

"女には3つ!男にも3つ!"

"3番目が1番体を使うんだよ!"

 

などとまるで生産性のないふざけた会話をダラダラ続けること10数分。

無駄な修羅場を遠目から見ていたジャーナリストはその場を後にする。

そんな一見生産性のないくだらない話にも映画のワンシーンとして、飽きさせないトリックと計算された尺。

 

アッバスキアロスタミが遺したもの

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New Yorker Films

イラン国内に留まらず、世界的に置き土産を残し、2016年アッバス・キアロスタミ監督はこの世を去った。

一部の人は言うだろう。映画として、ストーリー性がなくて、起承転結がまるでない。見ていて眠くなる。

一通り彼の残したマスターピースを見てきた僕が思う彼の偉業。

 

世代の映画でいうと、トリアーみたいに新しい映画への考え方を世界に広めた訳でもないし、たった一本の映画だけで、これまでのSFへの陳腐のイメージを払拭したルーカスみたいな見える偉業を成し遂げた訳でもない。

ただひとつだけ、いまの僕から言えることがあるとしたら、映画の決まった枠組みというものを彼は一生かけて取り壊そうとしたのだと思う。

 

2時間という決まった枠組みで納得するようなわかりやすい構成や、観客を飽きさせないようにアクションシーンを10分毎に入れよというルールみたく、膨大に計算された緻密なカットやシーンに囚われることなく、時間を忘れて、映画だということを忘れて、ただ人の人生を追っかけれるという体験。

 

RPGのゲームのように、誰かの人生を切り取って、あたかも自分がその人の人生に入り込んでいるような錯覚は他の計算された映画では感じられない。

 

彼の作品はみる人を選ぶし、みる人も選ぶのだと思う。

興味のない人はここからどけ!と死んだ後でも必死に豪語するように語りかける彼の怖ヅラはこれからも消え去ることはない。

 

びぇ!