Movie Magic

アメリカ在住大学生が映画を語るブログ

イラン映画『セールスマン』あらすじ感想:広がる狂信主義&ナショナリズムと根強く残るイランの男女差別

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Memento Films Production
平凡な日々が続くとは限らない。
毎日それとなく生きていても、明日死ぬかもしれない。
 
世界的に安全な日本にいると、日々安全に暮らせていることが当たり前になるような気がする。
悪いことをする人は信用を失い簡単には生きれなくなるし、それが重ければ、重いほ社会からの締め付けも厳しくなる。
殺人をすれば、長い期間刑務所に入らないといけなくなる。当たり前のことだが、今回紹介する映画は、そんな常識が全く通じない、日本からはるか遠い国イランを舞台にしたお話。
 

男尊女卑とイランとイスラム

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明るかったはずの未来
2016年製作の「セールスマン(فروشنده)」はアスガル・ファルハディ監督のイラン映画。本作は劇団に所属する、教師のエマッドと妻ラナの若いカップルの物語。
 
ある日妻がひとりで家にいるとき、何者かが押し入り、レイプされてしまう。妻ラナは、頭を縫うほどの大怪我をし、極度のPSTDにかかってしまう。エマッドは警察に訴えることを望むが、妻ラナはそれをかたくなに拒否をする。
 
やがてエマッドひとりで犯人を追う。肉体的&精神的なダメージを負った妻は、昼はひとりでいるのを恐怖に感じ、夜は夫でさえも受け付けなくなってしまう。
夫のエマッドは早期の解決を望み、警察に捜査を依頼することを望むが、妻ラナはそれを望まない。
これには根底にあるイランの男女の差別意識が深く存在しているのだ。
 
すべての人間が平等なはずなのに、女性は男性より立場が弱い。これを1000年以上前から存在するイスラムの法律が保証しているものなのだ。
それにより、女性が裁判に立とうとしても、男性の証言の方が重要視されるし、命も価値すらも男性の方が重宝されるのだ。
 
警察に訴えでても、女性だからという理由だけで、不当な判決を出されるし、裁かれるべき加害者が救われる。
法律がそれを保証しているし、それ以上に偏見が女性の生きる幅を狭めている。被害者なはずなのに、社会からの目は厳しくなるし、社会的な見えないレッテルを貼られてしまう。
 

被害者が泣き寝入りする状況

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ギクシャクする夫婦間
なにも悪いことをしていないし、ただ健全に日々の生活を送りたいだけの若い女性はこうして見えない社会的な制裁を受けざるを得ないのだ。
肉体的にも、精神的にもダメージを受けたにもかかわらず、一番辛い思いをしている被害者が泣き寝入りをする。
世界からみても内情がわかりにくいイランの実態をリアルに描き出す。被害を受けているのは自分なのに、露骨に周りの目が豹変するし、その事実を周り言えず自分で抱え込んでしまう虚しさ。
 
"劇団の人に言わないでね"
 
と夫エマッドにいうシーンも、見ている観客が悲しくなってしまう。
タイトルの「セールスマン」は有名な戯曲「セールスマンの死」から着想を得ている。
本編で劇団員のふたりは「セーするマンの死」を演じている。
 
インタビューの中で、ファルハディ監督は戯曲「セールスマンの死」の主人公LindaとWilly Lomanと映画の主人公ラナとエマッドを重ね合わせたと語った。
セールスマンのWillyの死を通して、いまのイランへの静かな風刺と同時にエマッドの暴走と共鳴する。
 
2015年ごろから脚本の執筆に取り掛かったファルハディ監督は、同じく有名な戯作家ヘンリック・イプセンやジャン=ポール・サルトルなどの戯曲で挑戦し、スペイン語作品になる予定だったという。
イランが置かれている実情を訴えるため、舞台をテヘランに移し、本作が撮影された。ある有名な戯曲を通して、描かれるセールスマンの死と現代社会への風刺が描かれた。
 

 イラン政府と映画

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1979年のイラン革命以降、イスラム教の最高指導者が政権を握っている。米大統領トランプ政権誕生以降、両者は対立を深め、緊張状態が続いている。
世界的にみても、イランという国はとても閉鎖的。国が西洋文化に否定的なため、イランという国がどういった国なのかがいまいちピンとこない。
そんな閉鎖的な政治とは打って変わり、イラン映画はいまとてもアツい。
 
「桜桃の味」や「風の吹くまま」で知られるアジアを代表する巨匠アッバス・キアロスタミ監督がイラン映画界を牽引し、彼が亡くなった後も、弟子が活動の範囲を広め、世界的に有名になっている。
弟子のひとりのジャファール・パナヒ監督は「白い風船」や「人生タクシー」など、初期のキアロスタミ作品の「友達のうちはどこ?」などに作風が似る。
一方、本作のアスガー・ファルハディ監督は、ヨーロッパ映画の流れをくむような、計算された脚本が有名だ。
 

アカデミー賞授賞式で語られた感動スピーチ

ファルハディ監督は「別離」と本作「セールスマン」これまで2度のアカデミー賞を受賞している。本作が2度目のアカデミー賞外国語映画賞に輝いたときの授賞式はとても印象的だった。
イランを含む中東6カ国に対してアメリカに入国が禁止されていたため、監督本人が出席することができなかったのだ。
映画は人種・国籍・性別関係なく全ての人に平等にあるべきはずが、イラン出身だからという理由だけで、その名誉を受け取ることができない。
実際にそのアカデミー賞をリアルタイムでみていた筆者は、別に人間が監督自身のメッセージを読んでいる場面を目にし、感銘をうけた。
 
その手紙にはこんなことが記されていた。
My absence is out of respect for the people of my country and those of the other six nations who have been disrespected by the inhumane law that bans entry of immigrants to the U.S. Dividing the world into the us and our enemies categories creates fear, a deceitful justification for aggression and war. These wars prevent democracy and human rights in countries which themselves have been victims of aggression. Filmmakers can turn their cameras to capture shared human qualities and break stereotypes of various nationalities and religions. They create empathy between us and others 
 
ざっくり要約すると、イランを含めた6カ国への差別的なアメリカの対応に対しての反発や世界中に広がりつつあるナショナリズムと排他的な考え方にめっぽうから反対を表明した。映画監督として、映画は人々を人種・国籍・性別を問わず、繋ぎ合せてくれると。
いまの世の中の動きに反発すると同時に、イランの男女差別に立ち向かったあるセールスマンはこうして世界にその実情を訴えかける。
 
びぇ!