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アメリカ在住大学生が映画を語るブログ

映画「仁義なき戦い」あらすじ感想:極道のすべてのはじまりをみせる。

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東映

東京には多くの人がごった返し、スクランブル交差点には毎秒のように人々が行き交う。世界的に発展した国として、アジアの中心を彩るこの国は全てが揃っている。

そんな現代からすると、想像もできない劣悪な環境が東京には存在していた頃があった。戦争が終わってまもない頃だ。

でも活気があって、必死に人々は毎日を食いつなぐ。食べ物すら手に入りにくい環境だったと伝わるが、そんな時期にヤクザが名乗りを上げてきたのも事実。

 

今となっては、極道やヤクザは社会から完全に疎遠で、裏の社会でひっそりと息を潜めて暮らしているかと思うほど、勢いも失った。

それはまやかしかもしれないし、どこか僕らの知らないところで巨大な力を蓄えているのだろうと思ってしまう。

それも当然、この映画はそんなヤクザたちの間で実際に起こった抗争を、当時の当事者が獄中にて7年の歳月を掛け完成させた手記が原作となっている。

仁義なき戦いは1973年に公開された。1972年に名作「ゴッドファーザー」が封切られると、その日本版は撮れないのか?と思い、映画化に踏み切ったらしい。

テンポが嫌なほど鈍く、ワンカットワンカットを入念に撮られた「ゴッドファーザー」とは真逆で、本作はさっさと次へ次へと物語が進む。

90分ほどの尺で何十人と死んでく、この広島抗争は、キャラクターひとりひとりに焦点など当ててる暇はなく、バタバタ人が撃たれ、倒れていく。

 

死ぬときになって、あ、こいつが神田なのね!と謎の納得感に浸ってしまう。死んだ後のほうが社会的にインパクトがあることが多い、いまではこの映画で行われることがよく理解できる。

例えば、アメリカのラッパーはよく死について取り糺されるし、死んで有名になり、庶民の中で神秘化される傾向がたたある。

そんな観点から比較すると、義理とか盃とかあるけど、死に関しては、ヤクザもいまのラッパーの文化と少し近い気がする、と個人的に感じた。

ヤクザの世界に足を踏み入れたことがないので、実際はどう考えられているのかわからないけど、この映画でのヤクザや極道の描き方は、少なくとも共通点が見受けられた。

 

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主演の菅原文太さん

さらに方言がとにかくエグい。

"わし、指つめるけんのう。"

"いったん口にだしたんじゃけえ"

"やらにゃいけんよ。"

"ほいで、どうつめらたええんかのう?"

"誰かしっちょる者おらんか?"

という会話も極道に通ずる人間だけにしかない会話に新鮮味を感じる。

 

いまでは浮気する印象しかない梅宮辰夫さんや亡くなった、昔の大物俳優菅原文太さんなどその当時の世代からしたら、ゴットスターたちの共演映画も、若い僕らからしたら、過去の人。

こんな人がいたんだな、といまこうして映画を通して学ぶ。

仁義なき戦いはテンポがとにかく早く、ヤクザの内側をちょっと距離を置きながら、その実態に迫るある種のドキュメンタリーみたいもの。

主演の菅原文太さん主体の主観的な映画になり過ぎず、90分があっという間に終わった感覚だった。

 

Netflixの韓国映画「麻薬王」で描かれていたが、戦後日本には韓国から大量の覚せい剤が流入していた。

別名ヒロポンと呼ばれていたようだが、そんな違法ビジネスを手がけ始めたヤクザたちや、それで揉める組員たち。

ヤクザの世界にどっぷり漬かる情婦の熱い色が滲み出るように、波乱万丈の人生の集約図が本作には、埋め込まれている気がした。

 

ヤクザ映画でカテゴライズするとしたら、「ゴッドファーザー」と北野武の映画は、ヤクザの道を舐めるように味わう。

一方、この仁義なき戦いとセルジオリオーネの西部劇(「夕陽のガンマン」「ワンスアポンアタイムインウェスト」など)は、とにかくテンポ感重視の、娯楽化に努めた、観やすい映画となっている。

いまは年をとった往年のスターという印象の大御所俳優たちが、まだ現役時代バリバリに活躍なさってた頃を極道の道を経由して体験できた。

びぇ!

 

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