映画『Lion~25年目のただいま~』あらすじ感想ネタバレ:インドの田舎町で起きた奇跡の実話
こんちくわ!Shygonです
今回は「 Lion 25年目のただいま」 を熱く語りたいと思います。
はじめに
この作品賞実は実話なんです。インドのある田舎街で迷子になった5歳の男の子が、25年の時を得て、家族を探し出す感動作になっています。
ある日、お兄ちゃんの仕事の手伝いをしていたサルーが止まっていた電車に乗り、ひと休憩。起きた時には遠く離れた、知らない別地に取り残されていた。
その後、オーストラリアに養子として出向くことになる。25年後、google mapが家族の再開を可能にしたのだ。
では様々なカテゴリーに分け、Lionの魅力を語っていきましょう!
映像が綺麗なのよ
この映画、とにかく映像が綺麗すぎる。カメラの性能も関係はしているであろうが、そこの領域をはるかに超えている、と感じるのである。
見せるところはしっかりカメラを引き、映像美を画面全体で表現する。人間同士の会話や、感情むき出しでそこにピントを当てたい時はそれ以外は目立たないよう最善の策を取られている。
映画の1つの醍醐味として、いま製作者がどこに、なにに焦点を当てているのか、それが作品の良し悪しを決める。
この映画はそこのさじ加減が難しいにも関わらず、映像をどう見せるかの方法がとても巧みであると思う。そして物語には起承転結がある。これに乗っ取らない物語に成功はない。
この映画、物語の起承転結は勿論、カメラワークや、カメラ構成で起承転結を物語っているというもの1つの特徴であり、同時に魅力である。
映像と音楽の調和
起承転結を描くカメラワークがあるとどうしてももう1つ欲しくなるものである。
音楽。これはいい映像には不可欠である。
どの映画にもたいていメインテーマが設けられているが、この映画のメインテーマは感心物である。ジョーズのような、ジュラシックパークのような、ヘイトフルエイトのような、
先に見える現実や、希望を音楽だけで表現するのだ。ただそこには嵐が吹き入れるであろう航海が待ち受けている、ような感覚も伺うことができるのである。
まさにそんな要素を含んだ音楽が圧倒的な映像美とともに流れてくる、鳥肌の立たない人がいるのであろうか、そんな映画であるのだ。
サルーの存在
この映画、これが最大の魅力であると思う。いや、思いではなく、本当のことである。
このサルー可愛すぎる。
切実に男女関係なくこれは反則レベルである。
基本的に現実から過去を遡るような形式なので、悪魔で回想シーンのみの登場であるが、この魅力にみんな間違えなく瞬殺である。
ただここだけで終わらないのが、この映画。おっさん化したサルーにも人として魅力の詰まった人物なのである。
自分の故郷を探すと決めた後も自分の中で葛藤をするのだ。彼自身開けてはいけない玉手箱を開けようとしている気がし、周りの親しい人に自分の取り乱した姿を見せてしまう。
映画として、義母と話し合うシーン、彼女との口論は見ものである。感情のぶつかり合いと思いきや、これは心のぶつけ合いなのである。
役柄上、普段感情をあまり表に出さないサルーであるが、映画として彼の真実を探し出すときの動揺は痺れるものがある。
「アクアマン」で知られる、義母を演じたニコール・キットマンはさすがオスカー俳優だけあった。単なる感情むき出しの話し合いではなく、なぜかこころに響く美声。
まるで、張り詰めた沈黙が僕らに投げかけるかのように空間全体で調和し、サルーと義母の会話を物語っている。
かたや、彼女との口論では普段見せない感情をむき出しで思いを伝えるのである。この演技が認められ、ニコール・キットマン、デブ・パテル、ルーニー・マーラは見事アカデミー賞にノミネートされた。
受賞には至らなかったが、3人とも存在感を残し、見事な結果であると思う。 最後に母と再開するのであるが、ここに1つオチ知らせざることが表向きになるのだ。最後のシーンにもしっかり工夫がされており、個人的には納得のいく作品であった。
びぇ!