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アメリカ在住大学生が映画を語るブログ

イラン映画『オリーブの林をぬけて』感想ネタバレ:どんな逆境でさえも結婚を諦めない青年のラブストーリー

 

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Miramax Films

こんちくわ!Shygonです!

今回はコケールトリロジー3部作の最終作

オリーブの林をぬけて

について熱く語りたいと思います!

1994年に製作された本作は、イラン出身の巨匠アッバス・キアロスタミ監督作品です。

「コケールトリロジー」とはイランのコケール村を舞台にキアロスタミ監督が映画化した3作品。

キアロスタミを世界的に有名にした作品でイランに住む人たちの日常を切り取って描いています。

 

背景とあらすじ

 「オリーブの林をぬけて(زیر درختان زیتون)」

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Miramax Films

コケールトリロジーの最終章。

1作目「友達のうちはどこ?」、2作目の「そして人生はつづく。」に続く3作目。前2作に撮影現場で実際に起きた出来事を原案に、映画撮影中に、俳優として参加する男の切ないラブストーリー。

素人をよく起用することで有名なキアロスタミ監督が放つ「コケールトリロジー」最終作は、コケールを舞台にこれまで映画を撮ってきた作品たちの最終章にふさわしい映画。

 

本作は「コケール3部作」の最終話として、世界的に取り糺され、その年のイラン映画代表として、アカデミー賞に選出されるも、ノミネートはならず。

 コケールトリロジーをおさらい

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Miramax Films

1作目の「友達のうちはどこ?」は、ある6歳の男の子が友達宿題を間違えて持って帰ってきてしまったことで、友達にその宿題を返すために隣町まで行く映画。

2作目の「そして人生はつづく」は1990年に実際に起きたイラン大地震後、前作に出演した俳優たちの安否を確認するために、コケールに訪れる映画監督をドキュメンタリータッチで描きました。

3作目の「オリーブの林をぬけて」では、前作に出演していたある青年がひとりの女性と結婚しようと奮闘するラブストーリー。

 

世界最大の塩湖カルピ海に面するコケール村を舞台に全ての作品が撮影され、キャストは実際にそこに住む素人から構成される。

 

本作「オリーブの林をぬけて」には、1作目「友達のうちはどこ?」に出演していた先生役の人がひょっこり出演していたり、同じく1作目の主演の男の子アハマッドくんの成長した姿が見れたりとファンサービスをしっかりしてて興奮!!!

 

こんな素朴な可愛い男性がいるのか

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Miramax Films

本作を含む「コケールトリロジー」ではイランの小さな村コケール村を舞台に、イランの日常を描いた。

キアロスタミ監督が公言するように、小津安二郎監督の影響を受ける作風で、悪く言って映画の中での起承転結が全くない。

単にドキュメンタリータッチでイランという国に住む人たちの日常をただひたすら描く。人が死ぬわけでもなく、なにか特別なことが起きることがない。

でも全く飽きさせない。ここがキアロスタミ監督の手腕の高さであろう。筆者の中で本作「オリーブの林をぬけて」がキアロスタミ監督の手腕の高さが1番懸命に垣間見れると思う。

 

トーリー自体は前作そして人生はつづくの撮影中におきた実際の話を映画化しているだけ。主人公ホセインが意中の女性と結婚するため、一生をかけて落としにいく恋物語だ。

文字も書けない、家もない男は将来のこおを考え、せめて文字の読める女性に嫁いで欲しかった。

 

本を読むのが好きなタヘルは、一日中本にふける女性。

映画に出演中のホセインは撮影中も映画のことなどどうでもよく、気になるのは共演者のタヘル。

タヘルだけのことをこれから見るし、一生かけて幸せにするから結婚してよぅ!と幼稚園児みたいに嘆くも、無視状態。

 

性にとって、結婚の最大の関門は相手方のご親族への挨拶であろう。筆者のまわりでも最近徐々に結婚するという同級生が増えてきたが、彼らは口を揃えていう。

あんなに緊張する瞬間は他にないと。童貞を卒業するときより緊張すると。経験上若いうちに結婚する友達ほど、相手方の父親がヤクザみたいな人らしく、その話を聞くたびにゲラゲラ笑ってしまう。

 

結婚前のご両親への挨拶はどの国でも男性にとっては難関らしいぞ。と本作は言っているような気がする。

地震で両親を亡くしたタヘルのラスボスはおばあちゃん。このおばあちゃんがめちゃくいゃ手強い。

文字も読めない、家もないホセインなど目にくれない。それでも諦めないホセインはおばあちゃんのところへ毎日通い、タヘルに対する気持ちをアピールする。も、聞いてもくれない。

 

男としてはそんな悲しいことがあるのかと一男として応援したくなる。無邪気に意中の女性と幸せな家庭を築きたいと願う若い男はこうも美しいのかとふと思う。

 

文字を読めるとか家があるとか

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1990年のイラン大地震で死んだ多くの親戚の方が親切だと不謹慎なことをぼやくホセイン。

死人に口なしというようにそれほどタヘルとおばあちゃんを憎く思ってしまうほど、ホセインは悩んでいるのです。

近くに広がる林は親切にホセインの訴えをきちんと聞いてくれる。それに比べてタヘルは耳も貸してくれない。

 

本編の中で、疲れ切ったホセインはこんなことを言い出す。

"地主とお金持ちや字が読める人同士の結婚ではなく、

お金持ちと貧乏人や字が読める人と読めない人が

結婚して助け合えば世の中はもっと良くなるのになぁ。"

 

と。続けて語り始める。

 

"結婚するふたりのそれぞれが家を持っている意味なんてない。"

"だって2軒も持ってたって住めやしないでしょ?"

 

タヘルのことで頭がいっぱいなホセインからは、家がないから、字が読めないから、という理由で結婚を拒否させる男の切ない男心が読み取れます。

 

1作目「友達のうちはどこ?」と「そして人生はつづく」では小学低学年の男の子の目線からイランの小さな村コケールを描いてきた。

だとすれば、本作はちょっと成長した、ひとりの女性を想い続ける青年の心情を描く。

前2作では、元氣に走り回る無邪気な幼い男心を描き、作品として活気があり、子供の目線からイランを読んでいた。

そんな2作とは打って変わって、本作では少し成長した思春期真っ只中の青年の恋心。描く対象は成長しえど、また違った形でイランの魅力が描かれた本作。

 

大満足の一本である。

 

びぇ!