こんちくわ!Shygonです!
今回は映画論ということで第2弾です。
映画を見るべき理由とは。
様々な意見があると思いますが、僕なりの理由があるので、それを書き留めました。
なお、前回の はじめに。 をご覧になっていない方はそちらからご覧ください。
映画史と歴史
でははじめになぜ映画を見るべきなのでしょうか。やはり元々の映画のはじまりは
人間の好奇心と興味です。
もっと深い追求をするために前提条件として
映画の歴史を軽くご紹介します。
[歴史]18世紀末期にカメラが発明され、それをどうにかして動かせないのかと人々は試行錯誤します。そこで、エジソンがシネマスコープの元祖となるものを発明します。
その後フランスでエミュール兄弟がいまのフィルムの元となるものを発明し、
世の中に新しい風を吹き込みます。そして1903年に月世界旅行が公開されるのを封切りに、
世界で映画という産業が徐々に認められていくのです。
映画産業はいまではものすごくデカイ業界になっていますが、
実はまだ生まれてから100年ちょっとしか経っていなく、他の業界に比べると幼い赤ん坊なのです。
人々は技術の進歩とともに映画を観るという文化に触れ、娯楽としてお茶の間に浸透し、ついに映画はなくてはならない存在となってしまったのです。
しかし、そんな急成長の裏には、戦争中に映画は人々の統制を保つためプロパガンダ目的に製作されるようになります。
実際に戦争中に映画の技術というものは急激に成長したのです。
[例]ドイツではリーフェンシュタールという女流監督が1934年に製作された意思の勝利は映画史の中でもいまでも名作に名が挙がるのです。
戦争中に武器の技術が挙がると言われていますが、それと同様に映画の実力もうなぎ登りで改善されていくのです。
一部の天才の好奇心と庶民の娯楽として映画は誕生し、発展していったのですが、プロパガンダ目的にも作られてしまうという悲しい現実もあるのです。
どうしてここまでダラダラと映画の歴史を語ってきたのでしょうか。
このまま語り続けると中学や高校の時のいい睡眠題材となってた、歴史の授業と変わりませんのでここで一旦止めます!笑
ここで一番言いたいことは
映画を知るということはその当時の過去や歴史を同時に知ることに繋がるということです。
そして、映画を通して世の中の出来事を知るということがどれほど効率的で、ひとつの歴史的事実を多角的に考えることができるのか計り知れません。
歴史を学校で学ぶ時、生徒や先生はひとつの決められた教科書を元に授業を進めます。
しかし、彼らが触れるその事実というものは一面的に物事を捉えているに過ぎません。さらに多少の検閲も入るため、大げさにいうと都合の良い、作られた歴史を知るのです。
それに比べて映画を通して歴史を知るというのは、映画によって視点が違い、クリエイターが違うのです。するとひとつの事実について触れているのにも関わらず、全く違った形で歴史というものを語るのです。
[例]ベトナム戦争です。アメリカ史においてよく議論の題になりやすいのですが、この事実というものを映画を通して学ぶと全く違う、裏のベトナム戦争というものが垣間見れるのです。1986年製作のプラトーンでは、監督のオリバーストーンが実際にベトナム戦争に従軍していたので、ものすごく酷い映画を超えたインパクトがあります。1970年製作のマッシュ(ロバートアルトマン監督)や1972年製作のアメリカングラフィティ(ジョージルーカス監督)などでは実際のベトナム戦争の情景がないにも関わらず、現場の人々に限らず、アメリカ本土の国民までもが翻弄される様を映画を通じて知ることができるのです。
ここで釘を刺しておくと、歴史の授業が意味のないものである、と決していっているわけではありません。学校の授業はとっても重要であったといま思い返せば切実に思うのです。この映画を通じて学ぶことは、その前に学校で学んだことの応用として、様々な視点から物事を知り、考えることがはじめてできるのです。
この話は映画分野限らずこのことは当てはまると思います。中にはB級アクション映画のようなテイストのものはもちろん完全な娯楽作品になり、歴史の学習には繋がらないものもあります。ですが、最近の大作映画にもいまの世の中の体制についての風刺がよく行われていることも事実です。
[例]キャプテンアメリカシビルウォーなどはその一種です。この類の映画になると完全に背景にある問題を知っていないと理解できない難しい場合もあります。
このように、映画を観るということは映画の分野に限らず、幅広い分野を知るキッカケになり、その入り口を築いてくれるのです。
次の章では、映画を観ることが、新しい知識を増やすということでなく、多くの影響があるということを体験談に元に語ります!
びぇ!
というところまで書き続編のないまま終わっていました。
まあ一年前の僕はなにを書きたかったのかわかりませんが、また数年後ふと思い出したときに思ったことでも書こうと思います。
以上、「20歳が考える映画論」でした。
それにしてもなにも深入ったこといってなくて泣けてくる。