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映画「東京暮色」あらすじ感想:泥沼な家族関係を どんよりした日本社会に投影する小津作品とは!?

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松竹

こんちくわ!Shygonです!

「東京暮色」日本を代表する映画監督 小津安二郎 の作品です。
 
「東京暮色」は他の小津映画と違い男女の三角関係を描く恋物語です。サイレント映画「大人の見る繪本 生まれてみたけれど」や世界的に有名な「東京物語」, カラー映画の「お早よう」など当時の日本社会を投影し、日本で目まぐるしく生きる人々にスポットを当てる作風が有名です。
 

サクッとあらすじ

杉山周吉は銀行に勤め、男手一つで子供達を育ててきた。ところが、姉の孝子(原節子)が夫との折り合いが悪くて幼い娘を連れて実家に戻ってくる。

妹の明子は短期大学を出たばかりだが、遊び人の川口らと付き合うようになり、その中の一人である木村(田浦正巳)と肉体関係を持ち、彼の子を身籠ってしまう。

木村は明子を避けるようになり明子は彼を捜して街をさまよう。中絶費用を用立てするため、明子は叔母の重子(杉村春子)に理由を言わずに金を借りようとするが断られ、重子からこれを聞いた周吉はいぶかしく思しまい‥

 引用元Wikipedia(東京暮色 - Wikipedia)

 

1957年に製作された本作は普段の小津映画にはない珍しい特徴が何点かあるのです。本作の深い散策の前にいくつか製作上の観点からいくつかご紹介したいと思います。

 

小津映画最後の白黒映画!

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松竹

基本的に小津安二郎という監督は勤勉なのです。なので、監督として軌道に乗り始めるとほぼ一年に1回のペースで新作を発表するのです。

この作品まで様々な名作を世に送り出してきたわけですが、今作を最後に白黒映画の製作をやめ、カラー映画へと方向転換をするのです。

そんな彼の従来の白黒映画への情熱が垣間見れる最後の作品ということで小津映画を語る上でとても貴重な映画なのです。 

 全編通して内容が暗すぎる

小津映画の醍醐味として家族にスポットを当て、日本の庶民を映し出すのに長けていますが、

この作品は本当に内容も何もかもすべてが暗いのです。

いままで家族の温かみなどを描いてきた彼にはとても珍しい作品です。なので、共同脚本家と政策上何度も喧嘩が勃発したそうです。このくらい作風は前作の早春からそのような兆候が見られ、僕は彼の中でも

「闇期」

と勝手に読んでいます。

 大女優が出演し、唯一の失敗作(と言われる)

世界のクロサワこと黒澤明監督の作品など戦後を代表する大女優 山田五十鈴が小津作品の中で唯一出演しています。

大女優ということもあり、彼女の演技がこの作品に厚みを持たせ、さらに暗い雰囲気の映画になったのです。

今までほんわかした家族物語を描いてきた小津にとって上記に示したように初めての試みになるわけです。

そのせいか、小津作品の中でも軒並み評価の低い作品となっています。ですが、僕はあまりそうは思わないのです。ではなぜなのか、それをこれから語っていきます。 

 

東京暮色を語る!

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松竹

(ネタバレが含まれます。)

 

父を演じる笠智衆と娘の原節子という位置づけはいつもと変わりませんが、この二人の家族の物語ではないのが本作の特徴なのです。

原節子の妹役の有馬稲子を主に家族が移り行く様を描いています。本作がほんわかした家族物語ではないというのは妹がトラブルメーカーであり、その度に父と姉を困らせます。

 

はじめにチンピラ男の子供をお腹に宿してしまった妹は中絶費用を得るため、二人に隠しながら奔走します。それが解決したと思わせると妹は自分は父の子供ではないのではないかと疑い始めるのです。

母が誰であるのかということは妹だけには語られていなかったが、近くにある麻雀荘の女将さんでした。そして、彼女の思惑通り育ての父親は実父ではなかったのです。母親は父(笠智衆)が転勤中、子供を身ごもり家を出て行ったのでした。

 

普段は家の中では一目置かれている父が久しぶりにお酒に飲まれるシーンがありましたが、母が家を出て行ったとききっとそれを忘れるためにお酒に飲まれていたのでしょう。

そんなつらい父の経験を子供ながらに覚えている姉は絶対母を最後まで許すことなかったのです。最後に自分の真実を知ってしまった妹は死んでしまい、家族として収束のめどがつかないことになってしまい、その責任を重く受け取った母は故郷北海道に戻る決意をします。

 

そして戻る最後の晩に妹へ花を送りに行くが、姉に突き返されてしまうのです。

 

そんな中北海道へ出発する電車の中で

かすかに子供のお迎えを待つ母。

 

しかしそこには彼女は来るはずもなく、それを知りつつも電車の窓を開け、顔を乗り出し、持っているのです。

そんな空しい母には心に大きな穴が開いたような虚無感が漂っていたのです。

はじめから暗い話で心にずっしり乗っかる重い話ではありましたが、言葉では表すことのできない、やるせない気持ちがじんわりとエンドロールとともに感じます。

 

よく小津映画に対して感情を描くのが下手という人がいます。僕個人の意見としてはそんなのは真っ向から反対です。

ふつうに感情を自由自在にコントロールし、感情の変化がもろに出ているとします、すると小津安二郎が描きたかった日本の風情ある情緒や家族というものをローポジションで描く小津調の良さがでないと思います。 

 

笠智衆のような坦々と一瞬無感情のようにみえる父親の内から湧き出てくる視覚だけでは感じ取ることのできない日本古来の家族体系の美化は決してできません。

そしてこの作品に関してはその一見無頓着な父が怒りをあらわにし、父親の威厳が損なわれる場面がいくつか表現されています。

暗い作品ではありますがこれこそが日本の庶民家族の真相であり、すべてなのかもしれません。

びぇ!

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