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ララランド:実は奥が深すぎる難解映画!?[考察と解説] (ネタバレ) part 2

今回ララランド特集第二回ということでさらにヒートアップして語ろうと思います!

まだご覧になってない方はぜひお読みください!

 

shygon.hatenablog.com

 前回は撮影など映画の技術的な部分に焦点を当ててきましたが、今回はね!

さぁー!!今回はミュージカルとこの映画の僕らへのメッセージについて燃焼しますよ!

 

なぜミュージカルでなくてはならなかったのか!?

なぜこのララランドはミュージカルでなければいけなかったのか。

監督の趣味、志向と言われればそれまでであるが(確かにそれもある笑)、

これはミュージカルという分野の成り立ちやそれの根本的な、本質的な部分を知らない以外解決策はないと思っている。

 

では本来ミュージカル映画とは何であったのか。

それは新しい時代を先行する象徴的な分野であった。

モノクロ映画からカラー映画の変換期に映画としての差別化を図るためにカラフルな色使い、迫力のあるセットで人々を魅了して生きたのだ。

 

そのようなインパクトや第一印象として人々の生活に浸透していったのであった。

映画的な作法の方向で考えると

 

ミュージカル映画現実と理想を描くときに効果的

 

なのであると思う。ふつうは回想シーンの導入部分は詳細に描く場合が多いのである。

しかし、それは現在進行中のシーンをブッタきることが必要になってくるのである。

ララランドの場合では最後のシーンが一番わかりやすいが、ピアノの演奏中二人は別のあったかもしれない未来を回想として頭の中で描いていた。

 

ミュージカルではこのような現実と夢の隔たりが極端に薄れて感じることが特徴なのである。

 

なので、ミュージカルの方が人間の頭の中を詳細に描きやすいのではないかと思う。

今回の映画では例えばアが想像しているハリウッドというものにダンスと音楽を載せるだけであんなに迫力のあるミアワールドが展開されていた。

 

そして最後にミュージカルは理論では語りきれない、理論の域を超えた魅力がミュージカルにはある。

単純に考えてほしい、

映画の中のロマンティックな話に、感情を左右するダンスや、ノリのいい音楽、時には感情揺さぶる高音のきいた音楽が映画館いっぱいに流れるのである。

それだけでおなか一杯になりそうであると思いませんかね!?

 

 

最後のシーンとメッセージとは!?

ここが映画では最も重要な部分であるのではないかと思う。

この映画実に単純であるが、実に難しい。物語自体は純粋な恋愛物語であり、

多くの人が楽しめるような内容になっている。

なので、完全に娯楽作品といえよう。

しかし、一筋縄でいかないのが、この映画なのであると思う。

作品の中に音楽や映画の専門知識がものすごく多くでてくるのが、わかるであろうか。ジャズのレジェンドたちの名前がぞろぞろ会話の中に入り交じり監督のジャズ愛を感じるのであった。

 

さらに映画も同じようなことが言えるであろう。

例えば、はじめの方のシーンで名作映画「カサブランカ」について語る場面があった。

あそこで登場するメインキャラクターの俳優ハンフリーボガードの名前が会話に出てきていた。そこでセバスチャンはミアに

 

「君のボガード君はどんな方なの?」

 

と聞くシーンがあったが、まさしくおもしろい場面であると思う。

映画を知っている人にはわかるような、あのような小さな小ネタがあの映画には散りばめられているのだ。

なので、映画や音楽に精通している人はさらに映画ララランドというものを楽しむことができるのかもしれない。

 

そして、この映画が発するメッセージである。僕は一言で表すと、

 

自分の夢を優先するのであれば、

それに伴う何かを犠牲にしなければいけない

 

ということに尽きると思う。セバスチャンはツアーで世界を飛び回るようになり、

ミアはやっとパリで女優活動に本腰を入れて取り組むようにできるようになった。

 

しかし、あの映画はなにもかたることなく5年後になり、

二人が決別していることがわかるのであった。

そして、久しぶりに再会したクラブでは二人で作った思い出の曲の中であったかもしれない夢の幻想を描き、最後になにも語ることなく去っていくのであった。

 

最後の目を合わせるシーンに焦点を当てよう。

僕の感覚ではあるが、最後彼らがあのような行動に移ったのは紛れもなく、

彼らはその夢の中の生活を今からでも臨めるかという気持ちを込めてあの回想シーンを共有したが、曲が終わった頃にはもう二人は気付いていた。

 

もう二度と二人でまた幸せな家庭を築くことなどできない、と

 

そして、これからはお互い違うパートナーと運命を共にしていくと決めたのである。

最後の二人が向き合うシーンにはそんな意味合いが込められていたのであると思う。

 

あの二人が語るように、

 

愛がほしいなら成功を捨てなければいけない。

 

逆に成功が欲しいなら愛をすてなければならないのである。

これは紛れもなく大人の恋愛であり、彼らの仕事と生活の調整の葛藤を描いているのである。

 

日本では映画ドラマなどでよく見る、すべてを捨て恋愛を選びハッピーエンドというものがあるが、現実はそんな話ではないということのである。

そして、ハリウッドで絶賛された理由の根底には

 

彼らもおなじような体験を少なからずしているということである。

 

これは監督自身の自伝的な要素が含まれているといわれているが、いま表舞台で活躍している彼らにも通ずることがあり、彼らの自身の経験に近いものにこの映画はなっているのかもしれない。

 

はじめの導入に本編128分では85%しか完成されないと書いたが、

それは上記に記した彼らが別れた要因がしっかりと記されていないということである。これは監督があえてしたことだと僕は思う。

この気持ちや実情、原因を僕ら観客自身がより合わせ、自分自身で最後はこの物語を完成させることができるという点である。

人によってさまざまな理由が存在するので、あえてこの映画を一、一組のカップルの話だけにするのではなく、あえて語らない部分こそがこの映画の魅力を最大限に引き出しているのかもしれない。

 

そして最後にこの作品のミュージカル映画としても革新的な部分を記して終わりにしようかと思う。

上記に記した通り、従来の名作ミュージカル映画への尊敬を示しているこの映画であるが、ミュージカルとしても新しい部分も垣間見れるのである。

例えば、この映画はミュージカルには割と珍しいある種のバットエンドであるということである。従来の映画は映画会社の意向がほとんどであるが、最後ヒロインが別れるといったような映画はものすごく少ないことであった。

 

しかし、この映画は最後別れて終わるのである。

 

ここがもう一つこの映画の魅力であり、この映画二人が別の道を行くということにマイナスの印象を与えていないという点である。

恋愛映画という観点から見るとこの映画は紛れもなくバッドエンドであるが、違う人生を歩むということが彼からからしたら悪いことではないということがわかる。

この映画は大人の恋愛映画なのであるが、同時に彼らが日々悩む愛と仕事の両立をミュージカルという切り口から非常に巧妙に描いているということである。

 

どうでしょうか、少しは映画ララランドに対する感覚は変わりましたでしょうか?

僕自身映画をいうものはさまざまな捉え方があり、十人十色であると思っています。

それに決して正解などなくそれが一つの映画の魅力であると同時に思います。

これを見て自分なりに「ララランド」という映画を今一度考えなおしていただけたらと思います。

 

びぇ!