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アメリカ在住大学生が映画を語るブログ

映画「ローガン」 あらすじ感想 : 父親とヒーローとして美しく散って行くウルヴァリンの人生とは-劇中の西部劇って?

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©2017 20th Century Fox

こんちくわ!Shygonです!

今回はマーベル映画史上最高傑作と名高い 

ローガン

を熱く語りたいと思います!

2017年に製作された本作はX-MENのウルヴァリンシリーズ最終章に位置付けられており、本作にてウルヴァリンを長年演じてきたヒュー・ジャックマンは本作にて引退するようです。

 

観た後の感想としてはめちゃくちゃ面白いという一言に尽きますよ!

それを裏付けるかのように世界最大の映画データベース、IMDbというサイトでは娯楽作品には珍しい評価が 8 を超えています!

そんな中であまり芸術性に乏しいアクション映画でこれほど世界の人たちに受け入れられているということがどれほどすごいのか。

今回はなぜそんな絶賛されているのかを自分なりに分析し、熱く語ります。

 

サクッとあらすじ

近未来2029年、数少ないミュータント(この映画シリーズで特殊な能力を持った人たちの総称、主人公ローガンもそのひとり)は絶滅の危機にさらされていた。

そんな中かつての勢いを失ったローガンことウルヴァリンは完全治癒能力を失い、お酒に溺れていた。

そんな中11歳の少女の母親を名乗る女から助けを求められてしまう。はじめは断った彼であったが、実は少女はミュータントであり、彼の娘で、何者かに命を狙われていた。

最後の決意をし、彼女を守ることを決意した。

 

 残虐シーンの多様と影響

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©2017 20th Century Fox

本来、マーベル映画の多くはヒーローを扱っており、大衆映画であるというのが一般常識です。ヒーローという役柄から子供たちからも人気があり、正義が勝つといったようなお決まりのパターンと子供を熱狂させるなにか魅力的ななにかがその部類の映画には必ず伴ってきます。

 

例えば、「アイアンマン」です。

彼は大富豪である反面、鉄の塊を身に、男子に魅力的な容姿に、戦い方をします。次に「マイティーソー」です。彼は違う惑星の王様でありながら、地球に降り立ち自慢の腕力で敵を倒します。

これもアイアンマン同様、王道のヒーロー映画であり、男女、年齢問わず老若男女に人気なのです(さすがに老人は好きではないかも‥)

 

そのような幅広い層を狙っているため、層を絞るような、やってはいけないことがひとつあるのです。

 

残虐シーンを見せることです。

 

これをすると年齢制限の厳しいこのご時世には、子供たちが見れなくなり、最終的にお金の面ではいい結果に繋がらないのです。

なので、戦いは綺麗に見せ、決して残虐な殺戮は見せないというのがいままでの常識であり、当たり前だったのです。

 

しかし、この常識を変えたのが昨年の大ヒット作「デッドプール」です。この作品はマーベルヒーローの一員でありながら、残虐に人殺しを行い、それを楽しむのです。

なので、子供には教育が悪いとヒーロー映画、前代未聞のR18で公開されるという事態でした。しかし、作品は絶賛の嵐でR18映画の中では史上最高の興行収入をあげる結果となりました。

「デッドプール」というキャラクターに焦点を当て、いままでのヒーロー映画の常識を打ち破ったのです。


そして、本作はその流れを組むように、人殺しは残虐になりR15指定の劇場公開となりました。「デッドプール」にはあの作品なりの良さというものが残虐かつ酷いシーンで引き立ってたのです。

様々な理由が挙げられますが、今回はではなぜローガンという映画に残虐かつ酷いシーンが必要だったのでしょうか。

 

一番わかりやすい点は迫力が増すのです。

 

それによって臨場感高まり、観客がアクションシーンに熱狂するのです。そして本作ではローガン自身が背負っているものとアクションシーンには通ずるものがあるのです。

本作の背景とローガンのキャラクター、そして残虐シーンの多様の関連性については次章にお伝えします。

 

背負っている事の違い

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©2017 20th Century Fox

まず一般的な映画のヒーローたちをご紹介します。

スパイダーマンは愛する彼女を影ながらに守ろうとします。このように愛する者や、規模が大きくなると地球を守るといった具合になります。

しかし、今回のローガンでは、彼は仲間を失い、冒頭シーンでは蝉の抜け殻のように魂が抜けているのです。しかし、自分の娘と知った瞬間、自分の命と取って代わってでもかばおうとするのです。

 

客の層を絞ったため見る人は子供のように現実離れした世界を愛するのではなく、現実を重視する年の人間が見るのです。

 

なので、地球を守るだとかそんな大きすぎるのです。

いかにも映画の世界観ではなく、多くの人が日常生活で体験するようなことに少し映画的スパイスを加えたのです。

それがローガンという人物に共感し、映画を主観的に体験できるのです。つまり、残虐な殺戮シーンをあえて見せることで、客層を絞り、その層に確実に共感を呼ぶため、彼らが日常生きる上でもありうる現実的な、かつ感情移入できるキャラクター設定が絶賛されるひとつの要因なのかもしれません。

 

そして、ローガンというキャラクターにはもうひとつ特徴があります。酒中毒であり、生きることに失望しているという、目を背けたくなる特質をこの映画で新たに加えました。

これこそ全ての人間のヒーローであったはずのローガンはそんな面影すらありません。そんなジャンキーが娘の存在を知った瞬間命を捨てる勢いで敵に向かって行く姿はその辺のヒーロ映画にはない無駄にカッコよくよっぽど現実的なのです。

なので、枠組みで考えるとマーベルのヒーロー映画ではありますが、実際には娘を苦し紛れに守ろうとする、どうしようもない父親と娘の物語なのです。

これこそが、みなさんがマーベルのヒーロー映画を超えたと行っている理由であり、全てなのかもしれません。

 

 完全治癒でなくなった事が与える影響

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©2017 20th Century Fox

このシリーズを観た方はお分かりかと思いますが、前作までは攻撃を受けても完全治癒するという特徴を持つヒーローなのです。

しかし、今作から謎の病気にかかり完全治癒能力を失っているのです。いままではなにをされても回復するため危険を顧みず、突っ込んでいくのです。

なので、完全な主人公的なヒーローでまさに最強なのです。

 

しかし、今作は最強ではなくなり、さらには上記に述べたように生きることに失望したジャンキーですこんな落差は他にあるのか、とツッコミたくなるくらい落ちぶれたヒーローなのです。

完全無欠な特徴こそがいままでのヒーロー映画の条件のひとつでしたが、違う路線の映画製作をする今作はこの必要不可欠であったその特徴を消し取ることこそが、いままでの無鉄砲なキャラクター性から娘を苦し紛れに守ろうとする父親像への方向転換に必要だったのかもしれません。

 

最後に

 

(ネタバレが含まれます。)

 

本作でローガンことウルヴァリンを演じるヒュージャックマンは引退を表明してしました。なのでどういう形でウルヴァリンという役とさよならをするのかと観る前は疑問に思っておりました。

結果として次世代のミュータントを敵から守り抜きましたが、最後に力尽き、亡くなってしまいます。

国から追われている幼いミュータントたちに自分の未来を託すのです。

まるで長年第一線で海賊たちを引っ張ってきた白ひげ(ワンピースのキャラクター)が自分の命と引き換えに、息子たちに未来を託すかのように、ローガンは自分の時代の終焉を語り、次世代へ期待するのとともに消えていくのです。

 

そして、劇中のホテルのシーンで名作西部劇「シェーン」の有名なセリフの代用をする場面がありました。ローガンは父親として、娘の最後のメッセージとして、シェーンでのセリフを代用し、

 

"人間は人生を変えることができない。"

"例え正しい行いをしていても人殺しをした烙印からは逃れることができない"

"だから家に帰ってママに伝えなさい"

"谷から銃は去ったと"

 

この言葉を本作に置き換え、ミュータントと人間の決別とこれからも必死に生きていくのだという意思表明をする父親としてのローガンから娘へ最初で最後のメッセージだったのです。

 

昔の名作映画のメッセージを代用し、時代の流れとともに父から娘へ確実に彼らに伝わった力強いメッセージが映画「シェーン」から映画「ローガン」へと伝わった瞬間が垣間見れるのです。

それこそが映画を愛し、一目置き、尊敬の意を示す最善の方法であると僕は思います。

びぇ!

 

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映画「お早よう」あらすじ感想:噂話が大好きな主婦 そして無邪気に遊ぶ子供たちを描く小津作品

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松竹

こんちくわ!Shygonです!

 今回は日本人として知っておかなければならない監督

小津安二郎

彼はその後の映画界において絶大なる影響をもたらした数少ない映画人のひとりです。彼は日本の庶民を風情ある家族ドラマに仕上げ、かつ彼ら家族の感情を情緒豊かに表現します。

 

サクッとあらすじ

郊外の住宅地、長屋のように複数の家族が隣り合って暮らしている。林家の息子実と勇はテレビがほしいと両親にねだるが、聞き入れてもらえない。

子供たちは、要求を聞き入れてもらえるまで口を利かないというストライキをして、最終的に買ってもらうのだった。  

 引用元Wikipedia(お早よう - Wikipedia

 

1959年に製作された本作は小津安二郎監督で50作目という節目の作品なのです。本来の小津監督が得意とする家族物語を本作で拝見することができるのはとても興味深いですよね。さらにカラー映画として2作目であり

 

早くも小津監督の実力をカラー映画でも証明する形となりました。本作は家族の物語ではあるが、特に子供同士のジョーク交じりの可愛らしいやりとりを色彩豊かな装飾とともに見ることができる。

 

お早ようを熱く語る!

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松竹

本作では白黒テレビが庶民の間で普及し始めの日本を舞台に、大人の現実を知らずにわがままな子供たちがいかに親にテレビを買わすのかをジョークを交えかつ、小津ワールド満載の中で彼らの心の葛藤が忠実に描かれています。

全く同じ格好をした仲の良い兄弟は隣のお金持ちの家にある白黒テレビを求めて毎日居候しているのです。親としては隣の家には言ってほしくないため注意するが、彼らはテレビを買えとしつこく迫るのです。

 

ではこの映画の魅力とは何なのであろうか

 色彩豊かな街並みと人物

いままでは小津映画を堪能する際は、視覚的な要素はそこまで多く小津映画の魅力の中に含まれているわけではありませんでした。

それは白黒映画であったからです。しかし、カラー映画になると彼の魅力というものはさらに格段と増すのです。

 

固定されたカメラの中に移る様々な色の絶妙なバランス。これをなんと言葉で表現すればいいのでしょうか。

方向性はヨーロッパの絵画展にいっているような感覚です。もちろん静止画ではなのですが、まるで1枚ですべてを語る絵画と比較するならば、集約された1枚の絵画を見るために2時間の絵画をみているような感覚なのです。

 全編通じて流行しているギャグ

これがこの映画の最大の魅力と言っても過言ではないかもしれない、それほど僕は好ききなのです。男子学生の中で頭をつつくとオナラをするという一種のゲームが流行っていました。

この一見くだらないゲームを映画冒頭で男子生徒がやっていたのです。しかし、そこだけで終わらず、中盤でも懲りずにやり、しまいにはオナラをたくさん出す方法の解説会話まで見せさせられるのです。

これはとても不思議なことなのですが、こんなことでも懲りなく見せられると自然にその魅力に引き込まれるのです。

最後まで飽きをしることなくやっているため、そのネタをみるために映画をみているのではと錯覚してしまいます。これが小津映画の魅力の一種なのかもしれませんね。

 

勘違いから起こる婦人内の噂

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松竹

婦人会の会費の所在が行方不明になり、誰かがくすねているのではと疑い始めます。結局勘違いということがわかるのです。

しかしそれが解決したと思ったら、次は腹いせで子供に親がある特定の家族のみ無視しろと供しているのではという噂まで飛び交うようになります。

これも実際は勘違いであり、真相はテレビを買ってくれない子供がだれにも口を利かなくなっただけの話でした。

この勘違いから各家の女性はとばっちりをさけるため様々な対策をとろうとします。ですが実際は単なる勘違いであるので、見ている方はクスッと笑える冗談になるのです。

 チャーミングな子供たちの存在

兄貴の見様見真似で、服装まで一緒な弟くんがとっても可愛らしいのです。中盤から最後にかけてテレビを買ってもらうために親のご飯を食べないなど子供らしいストライキを兄とともにするのですが、弟くんおなかがすいて食べたいのです。

おばさんがおいしいお菓子を買ってきても本心食べたい気持ちを兄によって阻まれてしまうのです。とにかく兄のマネばかりしている弟は兄弟がいる方はあの感覚がとても共感できるのです。

 

そんな子供の目線と婦人の目線を使い分け冗談交じりの楽しいお話を作り上げた小津監督は本当に人間なのでしょうか?

びぇ!

 

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映画「東京暮色」あらすじ感想:泥沼な家族関係を どんよりした日本社会に投影する小津作品とは!?

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松竹

こんちくわ!Shygonです!

「東京暮色」日本を代表する映画監督 小津安二郎 の作品です。
 
「東京暮色」は他の小津映画と違い男女の三角関係を描く恋物語です。サイレント映画「大人の見る繪本 生まれてみたけれど」や世界的に有名な「東京物語」, カラー映画の「お早よう」など当時の日本社会を投影し、日本で目まぐるしく生きる人々にスポットを当てる作風が有名です。
 

サクッとあらすじ

杉山周吉は銀行に勤め、男手一つで子供達を育ててきた。ところが、姉の孝子(原節子)が夫との折り合いが悪くて幼い娘を連れて実家に戻ってくる。

妹の明子は短期大学を出たばかりだが、遊び人の川口らと付き合うようになり、その中の一人である木村(田浦正巳)と肉体関係を持ち、彼の子を身籠ってしまう。

木村は明子を避けるようになり明子は彼を捜して街をさまよう。中絶費用を用立てするため、明子は叔母の重子(杉村春子)に理由を言わずに金を借りようとするが断られ、重子からこれを聞いた周吉はいぶかしく思しまい‥

 引用元Wikipedia(東京暮色 - Wikipedia)

 

1957年に製作された本作は普段の小津映画にはない珍しい特徴が何点かあるのです。本作の深い散策の前にいくつか製作上の観点からいくつかご紹介したいと思います。

 

小津映画最後の白黒映画!

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松竹

基本的に小津安二郎という監督は勤勉なのです。なので、監督として軌道に乗り始めるとほぼ一年に1回のペースで新作を発表するのです。

この作品まで様々な名作を世に送り出してきたわけですが、今作を最後に白黒映画の製作をやめ、カラー映画へと方向転換をするのです。

そんな彼の従来の白黒映画への情熱が垣間見れる最後の作品ということで小津映画を語る上でとても貴重な映画なのです。 

 全編通して内容が暗すぎる

小津映画の醍醐味として家族にスポットを当て、日本の庶民を映し出すのに長けていますが、

この作品は本当に内容も何もかもすべてが暗いのです。

いままで家族の温かみなどを描いてきた彼にはとても珍しい作品です。なので、共同脚本家と政策上何度も喧嘩が勃発したそうです。このくらい作風は前作の早春からそのような兆候が見られ、僕は彼の中でも

「闇期」

と勝手に読んでいます。

 大女優が出演し、唯一の失敗作(と言われる)

世界のクロサワこと黒澤明監督の作品など戦後を代表する大女優 山田五十鈴が小津作品の中で唯一出演しています。

大女優ということもあり、彼女の演技がこの作品に厚みを持たせ、さらに暗い雰囲気の映画になったのです。

今までほんわかした家族物語を描いてきた小津にとって上記に示したように初めての試みになるわけです。

そのせいか、小津作品の中でも軒並み評価の低い作品となっています。ですが、僕はあまりそうは思わないのです。ではなぜなのか、それをこれから語っていきます。 

 

東京暮色を語る!

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松竹

(ネタバレが含まれます。)

 

父を演じる笠智衆と娘の原節子という位置づけはいつもと変わりませんが、この二人の家族の物語ではないのが本作の特徴なのです。

原節子の妹役の有馬稲子を主に家族が移り行く様を描いています。本作がほんわかした家族物語ではないというのは妹がトラブルメーカーであり、その度に父と姉を困らせます。

 

はじめにチンピラ男の子供をお腹に宿してしまった妹は中絶費用を得るため、二人に隠しながら奔走します。それが解決したと思わせると妹は自分は父の子供ではないのではないかと疑い始めるのです。

母が誰であるのかということは妹だけには語られていなかったが、近くにある麻雀荘の女将さんでした。そして、彼女の思惑通り育ての父親は実父ではなかったのです。母親は父(笠智衆)が転勤中、子供を身ごもり家を出て行ったのでした。

 

普段は家の中では一目置かれている父が久しぶりにお酒に飲まれるシーンがありましたが、母が家を出て行ったとききっとそれを忘れるためにお酒に飲まれていたのでしょう。

そんなつらい父の経験を子供ながらに覚えている姉は絶対母を最後まで許すことなかったのです。最後に自分の真実を知ってしまった妹は死んでしまい、家族として収束のめどがつかないことになってしまい、その責任を重く受け取った母は故郷北海道に戻る決意をします。

 

そして戻る最後の晩に妹へ花を送りに行くが、姉に突き返されてしまうのです。

 

そんな中北海道へ出発する電車の中で

かすかに子供のお迎えを待つ母。

 

しかしそこには彼女は来るはずもなく、それを知りつつも電車の窓を開け、顔を乗り出し、持っているのです。

そんな空しい母には心に大きな穴が開いたような虚無感が漂っていたのです。

はじめから暗い話で心にずっしり乗っかる重い話ではありましたが、言葉では表すことのできない、やるせない気持ちがじんわりとエンドロールとともに感じます。

 

よく小津映画に対して感情を描くのが下手という人がいます。僕個人の意見としてはそんなのは真っ向から反対です。

ふつうに感情を自由自在にコントロールし、感情の変化がもろに出ているとします、すると小津安二郎が描きたかった日本の風情ある情緒や家族というものをローポジションで描く小津調の良さがでないと思います。 

 

笠智衆のような坦々と一瞬無感情のようにみえる父親の内から湧き出てくる視覚だけでは感じ取ることのできない日本古来の家族体系の美化は決してできません。

そしてこの作品に関してはその一見無頓着な父が怒りをあらわにし、父親の威厳が損なわれる場面がいくつか表現されています。

暗い作品ではありますがこれこそが日本の庶民家族の真相であり、すべてなのかもしれません。

びぇ!

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映画「早春」あらすじ感想:普段家族の温まりを描く小津監督が男女の闇に斬り込む!

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松竹

こんちくわ!Shygonです!

今回は日本人として知っておかなければならない監督

小津安二郎

彼はその後の映画界において絶大なる影響をもたらした数少ない映画人のひとりです。彼は日本の庶民を風情ある家族ドラマに仕上げ、かつ彼ら家族の感情を情緒豊かに表現します。

そして今回は作品「早春」をご紹介します。

 

サクッとあらすじ

東京蒲田の住宅地に暮らし、丸の内のオフィスに通勤するサラリーマン正二と昌子は共働きの夫婦であるが、子供を疫痢で失って以来、お互いにしっくりいかないものを感じていた。

そんな中、正二は通勤仲間の1人である「キンギョ」こと金子千代と、成り行きから一夜を共にしてしまう。2人の仲にただならぬものを感じた昌子は、正二を責めて家を出ていく。

そして、正二に岡山県三石への転勤話が持ち上がり、夫婦はそこでやり直すことを誓うのだった。

引用元Wikipedia(早春 (映画) - Wikipedia)

 

1956年に製作されたこの作品は小津映画恒例の原節子が出演していない唯一の作品となっています。

ですが、他の笠智衆や杉村春子は端役ではありますが、出演しています。ではなぜこの作品のみ原節子は出演していなかったのでしょうか?

はじめにその背景から説明しましょう。

 

原節子はなぜ出ていないのか?

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松竹

原節子は昭和の大スターとしてほとんどの小津映画に参加しています。なので小津安二郎が映画界に名を残すことができたのは紛れもなく彼女のおかげなのです。

しかし、早春はその原節子が出演しないのが映画自体の大きな味噌をなってくるわけです。

  「君の名は」のヒットの影響

1950年代初頭にTVドラマと映画を通してスターダムに乗り上がった女優岸恵子が本作では起用されました。

本作でも彼女の良さが全面に表現されていますが、原節子とはタイプの違う女優なのです。映画製作者としてその当時のトレンドを取り込むのも重要と考えたのかもしれません。

アニメ「君の名は」ではないですよ!

  役柄と原節子の印象の相違

原節子といえば「永遠の処女」と死ぬまで言われるほどイメージが良い人であり清楚なのです。しかし、本作は不倫に走ってしまったある夫婦の関係の再構築を描いているため

いつもの小津作品ではない方向のものを作ろうとした本作には岸恵子はぴったりだったのです。

岸恵子が悪役の方があっていると言っているのではなく、彼女の雰囲気と本作が求める女性像があっていたのかもしれません。なお彼女の魅力で後に記述します。

 

「早春」を熱く語る!

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松竹

職場ではある程度信頼を得ている正二(スギと映画では呼ばれていた)は通勤するときの電車が一緒であるという理由で電車仲間が数人いました。

そこの仲間たちで時々どこかに遊びに行くほど仲が良かったのです。

ある日のハイキングの夜キンギョと呼ばれる魅力的な女性と一夜を共にしてしまいます。自分には妻がいて、禁断の恋とわかっていてもそれにドップリ使ってしまいます。

 

そこでキンギョを演じるのが岸恵子なのです。

彼女は男にとってやみつきになりそうな中毒性のある女性なのです。そして一見性格がサラッとしているためつい妻持ちの男でもハマってしまうのです。

しかし、女の勘はこの時代から無視はできないのです。隠し事は必ずバレる、ましてや嘘の付けない男がいくらがんばっても無理なのです。

 

妻にバレますが、彼女はあえて泳がすのです。今のように女性が簡単に不倫を立証し世の中で生きていけるような時代ではないため彼女自身悩むのです。

最終的に耐えられなくなり、真実を語り数週間頭を冷やすため実家に帰ることになるのです。そこでスギ(夫)は事態を重く見るようになります。

丁度その時期に転勤の話が舞い込んでくると彼は苦渋の決断の末行くことを決めました。行くと決めても妻は家に一向に帰ってきません。そこで送別会やら最後の挨拶回りやらをしますが、妻のことで頭はいっぱいなのです。

 

ようこそ小津ワールドへ

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松竹

この映画は小津映画ならではの良さがなじみ出ていると僕は感じました。今流行しているような不倫を恋愛かのように美化し、描くことは決してせず、

当本人とその彼らを取り巻く人達が不倫というものに翻弄されている様を現実的に大胆に描き切っています。劇中の会話に出てきますが、キンギョが電車仲間に説得されるシーンにて

 

我が身を抓って人の痛さを知れ

 

というように様々な障害が2人に積み重なるのです。

不倫というテーマなので、この話は家族の垣根を超え、職場まで関係する話しなため小津作品には大変珍しい家族会話のほかに職場でも会話も映し出され、家族の話と職場の話題が交互に語られるのです。

そして彼の作品では現実社会の投影もしっかりこの映画にも施されており、不倫というものが家族という、いままで小津自身が描いていた温かい家族ドラマを翻弄し、一大事へと変わるかが身に浸みて実感できるのです。

さらに女性の立場がまだ低いということも関係し、現代に見るからこそまた考えさせられる作品となっていました。

びぇ!

 

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映画「東京物語」 感想:いまだに世界中方愛される小津映画の代表作の魅力とは? [ネタバレ&解説]

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松竹

こんちくわ!Shygonです!

今回は日本人として絶対知っておかなければならない監督

小津安二郎

彼はその後の映画界において絶大なる影響をもたらした数少ない映画人のひとりです。

 

彼は日本の庶民を風情ある家族ドラマに仕上げ、かつ彼ら家族の感情を情緒豊かに表現します。そして今回は彼の作品の中でも一番有名であり、今でも世界中から評価されている東京物語をご紹介します。

1953年に製作された本作は大女優原節子が紀子を演じた紀子三部作の中でも一番最後の集大成となり、高度経済成長を背景に日本の家族体系が変化する様を描いています。

 

サクッとあらすじ

尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に出掛ける。東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。

寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。

周吉ととみは、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったがそれでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。

ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届き‥?

 引用元Wikipedia(東京物語 - Wikipedia)

 

この作品とにかく世界中の映画人が絶賛しています。日本を代表する監督といえば黒澤明の名が挙がってくるが、この人は彼より前に早くも自分のスタイルを確立し、

 

日本人とは? に答えた作品 

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松竹

四季があり、伝統的な日本文化をこれほど正確にかつ魅力的に語る監督として彼の右にでる者は今現在いないと僕は思います。

そんななかでも東京物語はそんな彼の特徴が抜きん出て表現されています。彼の作品のほとんどはいわゆる映画の華がありません。

ただただ全編を通して家族のこじんまりした会話が続きます。しかし、その会話こそが小津映画の魅力であり、彼が映画を通して伝えたいメッセージでもあるのです。

そして話に厚みを持たせるために特殊な人に焦点を当てるのではなく、その当時の日本の一般家庭を描くことこそが日本を忠実にかつ魅力的に描き出せると彼は考えたのです。

 

東京物語と高度経済成長

この作品、実は当時の日本の歴史的背景を重ね合わせてみると魅力が倍増するのです。あの当時高度経済成長を期に若者が仕事を求めて都会に出ていくようになりました。

この家族もその例外ではなく、子供は成人すると都会へ出ていくのでした。すると子供はどんどん親元を離れ始めるのです。これが核家族の始まりです。 

尾道という穏やかな田舎に住む老人と時代の最先端を行く東京に身を置く若者を対比的に描くことで、日本の時代の家族体系の移り変わりを現実的にを映します。 

 

時代の変化と家族の変化

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松竹

母が亡くなり里帰りしてきた子供たちは葬式が終わると早速母からの形見をもらおうとしたり、その日に帰ろうとする姿を見た嫁入り前の末っ子京子が憤慨し、それを紀子に訴えるシーンが最後の方にありました。

紀子は兄姉の母に対する対応に怒っている京子に対して、みんな年をとるとそうなる、今は私(紀子)も京子に賛成だけれども、年をとると彼らのようになるのだと返答したのです。彼女は彼らを決して非難することがなかったのです。

本作におけるの紀子の位置付けについて触れておきたいと思います。というのはこの映画、家族の話であるのに紀子は出てくる家族と直接血が繋がっていないのです。

しかし僕はここに小津映画の魅力が詰まっていると思います。あえて主要人物を家族の人間ではない人が加わるとその当時の家族像というものを

 

主観的にかつ客観的に描くことができるのではないかと思います。 

最後のシーンにて父は子供ではない紀子に母の形見である時計を挙げるのです。そこに紀子と義父の間の友情を感じ、ほんわかする思いを感じるのです。

過激なアクションや、映画の王道芸を少しも描かず家族像を描くことのみに重点を置き、家族をひたすら描き続ける小津安二郎。僕はそんなに彼について知っているわけではないが、

家族物語以外に必要のない全ての観点を捨てて、家族内の感情や時代に翻弄される彼らの姿を描くことを貫いた映画 

 

「東京物語」

 

そんな頂点を極めたこの作品ほど映画として完成後が高いものは他にどれほど世の中に存在するのであろうか。

父と娘と彼らを取り巻く家族ドラマ、晩春は僕の大のお気に入り作品であるが、この作品もこれに匹敵するくらいの見た後に心にズンと圧し掛かる「何か」を僕は感じたのであった。

びぇ!

 

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追悼ロジャームーアという俳優が歩んだ道を振り返る![考察と解説]

こんちくわ!Shygonです!

今回は突如俳優ロジャームーアが亡くなったということで、

彼の人生を振り返り、彼が映画界にもたらしたことなどを熱く語ります!

 

緊急企画ロジャームーアとは

この方はなんつたってジェームズボンドを演じたことで一躍スターダムにのし上がり世界的な知名度をものにしました。

1927年にイギリスで生まれたロジャームーアは終戦とともに除隊し、映画界に飛び込みました。

長い下積み生活を過ごし、ついに50年代初頭に大手映画会社と契約を果たすのです。

その後は俳優としてトントン拍子で一歩ずつスターへの階段を上っていきます。

有名になる俳優にありがちなドラック、女などのスキャンダルに見舞われることなく、とても珍しい健全な俳優でもあります。

 

 

007ジェームズボンド

1962年にはじめて映画化された後は様々な俳優が主人公ジェームズボンドを演じるたびに大きなニュースとなっていました。イギリス出身のイアンフレミングの推理小説が元となっており、最近では小説にはなかった経歴を映画で新しく語られることもあります。

 

このジェームズボンドは初代ボンドを演じたショーンコネリーに今でもスポットが当てられがちです。

確かにコネリーは偉大な俳優でこの007映画をシリーズ化するほどにまで育てた立役者です。しかし、僕はこのロジャームーアがいなかったら現代のように大人気シリーズにはならなかったと思っています。

 

初代ボンドを演じたショーンコネリーがボンドを引退したとき問題は起こったのです。コネリー=ボンドという一般的な常識がファンから離れず、2代目は大失敗に終わるのです。

その後コネリー復活を望む声の推薦もあり、1作のみの復活もしました。ですが、当時はコネリーがいなくなった瞬間007は終わりな状態でした。

 

そこで新しい風をボンド映画に吹き込んだのが俳優ロジャームーアでした。

 

コネリーは007として堅実に任務をこなし、時折スパイスの効いたジョークを言いつつもしっかり仕事はこなす、いわゆるエリートです。

 

しかし、そんなコネリーボンドとは一転し、

ムーアが演じたボンドはとても甘いマスクで女性と遊んでばかりなのです。

もちろんコネリー時代からボンドガールといわれるほど美しい女性はボンド映画には必要不可欠でした。

でもムーアはエリートではあるが、基本的に女性には目がなく、仕事をほっぽらかし、女性の尻をひたすら追っかけまくるのです。

そのムーアのボンド像は今でも受け継がれており、現在ボンドを演じているダニエルクレイグにもその兆候が垣間見れますよね。

そんな低迷していたボンドに新たなテイストをつけたし、世界的な人気シリーズに仕立て上げた俳優ロジャームーア。

その功が成し、今までにボンド映画7本出演と最多記録を保持しています。

 

ロジャームーアという人間は89歳でその人生の幕は閉じましたが、彼の生きた功績、映画界に与えた影響はこれからも、これからもスクリーン上で生き続けるのです。

そんな彼に黙とう。

 

びぇ!

映画「晩春」あらすじ感想:嫁入り前の娘と父親の家族物語

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松竹


こんちくわ!Shygonです!

「晩春」は、日本を代表する映画監督 小津安二郎 の作品です。
 
「東京物語」は世界的に知名度のある映画で、いまなお大きな影響を各方面に与えています。サイレント映画「大人の見る繪本 生まれてみたけれど」や男女の恋心を描いた「東京暮色」, カラー映画の「お早よう」など当時の日本社会を投影し、日本で目まぐるしく生きる人々にスポットを当てる作風が有名です。
 
そして今回は彼の作品の中でも海外からの評価も高い晩春をご紹介します。
 

サクッとあらすじ

早くに妻を亡くし、それ以来娘の紀子に面倒をかけてきた大学教授の曾宮周吉は、紀子が婚期を逃しつつあることが気がかりでならない。
妹マサの持ってきた縁談を承諾した紀子は、周吉と京都旅行に出かけ再度心が揺れるが、周吉に説得されて結婚を決意する。
紀子が嫁いだ晩、一人家に残る心を決めた周吉は、人知れず孤独の涙を流す。
引用元Wikipedia(晩春 (映画) - Wikipedia)
 

お見合い結婚にかける思い

戦後直後の1949年に製作されたこの作品は家族の中でも主に父と娘に主に重点を置き物語を語っています。
なので、全編100分の中で家族以外に場面がそれることがほぼなく、何らかの世の中の変化も家族同士の会話で起きた出来事を描いているのです。
 
作家の父ともう時期お嫁に行かなければならない娘を中心に父娘の家族ドラマが描かれ、さらに鎌倉、京都などの美しい街並みや景色を白黒映画ならではの魅力で語り尽くしています。

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松竹
では映画晩春魅力とは一体なんなのでしょうか?
それはまずはやはり俳優原節子と笠智衆でしょう。この俳優たちは小津監督が生涯を閉じるまでずっと彼はこの俳優たちを使い続けるのです。
戦後の日本女性の象徴としてずっと慕われた原節子のすごさは彼女の映画を見たことがある方はご存知でしょう。

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松竹
しかし、このブログではあえて笠智衆にスポットを当てたいと思います。
この晩春にいたって、僕は彼が天才としか言いようのない演技を披露していると思います。話を細かく砕いて進めると、様々なことが見えてきます。
 
彼は作家として一目置かれています。しかし、父親としては妻に先立たれてしまい、周りの身支度ができないため娘にかなりを依存しているようなのです。
彼は娘に生活のほとんどを手伝ってもらっているため生きるためにはなくてはならない存在なのですが、父親として年頃の娘を早く嫁に出したいという思いが少なからずあるのです。
 
ですが、彼女がいなくなると生活に不自由になるということと, 愛する娘がいなくなるので、正直乗り気ではなく、彼の妹の助言でやっと重い腰をあげました。
この映画で、笠智衆という俳優は優秀な作家として、娘を頼る作家として、そして娘を内心手放したくない父親としての顔を使い分けているのです。
様々な感情が彼の中で混在していますが、それを全く表に出さず、表情を一切変えないのです。
 
なので、娘が嫁に行きたくない理由として、彼女が挙げた父が身支度ができないことについてはもう先の長くない自分をはけのけ、将来のある娘のために新しく嫁をもらうと嘘をつきました
そして最後の父と娘で行った別れの旅行の際には、娘は嫁には行きたくないとごねりだします。年ごろの娘が自分を愛しているのを心では喜ぶも本心とは偽り、父親として娘を嫁に出す説得をしました。
 
常に自分のためではなく相手のことを思うあの父娘はなんて魅力的な家族なのでしょうか。決して自分の利益を重要視しないそんな家族こそが監督安津安二郎の考える理想の形なのかもしれないのです。
そして最後娘を嫁に出し、ほっとする父ですが家に帰った瞬間孤独な家で一人リンゴを剥きながら涙をポロポロ流し始めるのです。
 
この場面は本当になんともいえない感情です。父としての威厳、使命感と娘を思う気持ちがあの涙には含まれていると思うと心に通づ何かがあるのです。あのなんとも言えない風情のある顔は俳優笠智衆の実力そのものでしょう。
この映画はロードムービーの一種ですが、戦後の日本の古き習慣の中で悩む一父娘を中心に情緒溢れる家族ドラマなのです。無駄な色を決して付け足さず、シンプルな雰囲気を追求した結果が名作晩春なのかもしれない
びぇ!
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映画「大人の見る繪本 生まれてみたけれど」感想:初期頃のサイレント映画 ここから小津安二郎の伝説ははじまった!?

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松竹
こんちくわ!Shygonです!
今回は日本人として絶対知っておかなければならない監督
小津安二郎 
彼の初期の映画作品はあまり現存しているものがあまりありません。
 
その中でも本作「大人の見る繪本生まれて見たけれど」は現存している中でも非常に評価が高い作品になっております。
彼の作品は後に世界中から小津調と呼ばれ、尊敬されていました。この作品は初期作品ということもあり、無声映画になっていますが、彼の特徴がはっきり色濃く描かれており、映画の古さを感じさせないものとなっています。
 
1932年に作られた本作は無声映画です。劇中途中に会話が描かれたカットが差し込まれ、当時の西洋映画の特徴に非常に似ていました。
しかし、全部の会話が文字として映し出されるのではないため所々予想しながらみていくことも必要です。
 

サクッとあらすじ

良一、啓二のお父さんは、重役の岩崎の近くに引っ越して出世のチャンスをうかがっている。だが、兄弟の前では厳格そのもの。
引っ越しで転校した兄弟は早速地元の悪ガキグループと喧嘩した揚句、鬱陶しくなって小学校をずる休みするも担任の家庭訪問で知られ、二人は父さんから大目玉。
そのうち悪ガキ仲間と友達になり一緒に遊ぶようになる。その中には岩崎の子供もいる。ある日、みんなで「うちの父ちゃんが一番えらい」と自慢する話が出る。
兄弟も自分の父親が一番えらいと信じて疑わなかったが‥
 Wikipediaより引用
 

戦後の子供を切り取る

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松竹
引っ越ししてきたある家族の数ヶ月に焦点を当て子供目線から見る大人の世界を描いた作品となっています。
双子のような兄弟が転校してきて、新しい学校に馴染む姿から始まります。同じように父親が生きる大人の世界とはなんなのかを子供の目線から描くことで、とてもほんわかした家族ドラマに仕上がるのです。
 
無声映画ではありますが、皮肉まではいかない、冗談が散りばめられていて、当時の貧しい日本が世界に挑戦していく前夜の殺風景も見所です。
ここで小津監督は決して大人の目線から坦々と家族ドラマを描くのではなく、子供なりの気持ちや思いを主体に描くことで家族ドラマ自体に厚みを持たせたような気がしました。

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松竹
双子のような兄弟は父親がずっと偉い人になれと言われていたこともあり、父親のことを尊敬し、偉い人だと思い込んでいました。
しかし実際は金持ちの友達のお父さんにペコペコ頭を下げて、機嫌取りをしていたため失望と共に何らかの矛盾を感じてしまいました。
そこで強く父なりの家族の守り方に真っ向から対立した彼らは数日間ご飯を食べようとしません。しかしお腹の限界がきて、コソコソおにぎりを平らげていると、父親が話し始めたのです。
 
ここで兄弟は子供なりに大人の世界の現実を理解し、改めて父を家族の大黒柱として一目置くのです。特に全編通してなにも起こらない映画ではありましたが、こんなに情報の少ない中、感情の変化を描くのが難しいと言われている子供の目線から彼らの成長を描く作品に僕は感激しました。
なんせ父を認め、現実の世界に溶け込んで行く彼らの最後のシーンは見ものです。世界の小津の初期作品としてこれから確立される独特の映画スタイル、小津調の前線を垣間見れるのです。古い映画ではありますが、ぜひご鑑賞下さいませ。
びぇ!
 
 
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新作ワイスピ8語る!+ 前作の地上波初上陸の際の炎上語る![考察と解説]

こんちくわ!Shygonです!

 

今回は新作ワイルドスピードを熱く語ります!

 

この映画に関してはアクション映画ということもあり、僕がなにかを語るというのではなく、裏事情や、関連性のある話を語ります!

 

基本情報から、ワイルドスピードは2001年頃から始まるシリーズ作となっています。今作は8作目で、ほかのシリーズ作品などではよくある、路線変更や、失敗した前作をなかったことにするなど荒手な製作志向がないのが魅力的ですね。

一部時系列がずれているところがいりますが、公開されるたびに前作のスケールを超えてくるモンスター映画になっています。

 

前作スカイミッションについては車を飛行機から実際に落下させ、今作ではビルの上から滝のように車を落とし、ぶっ壊すシーンなどファンから見れば最高なのです。

 

今作に関して言えば専門家によると

シリーズ第8作目にあたる『ワイルド・スピード ICE BREAK』の全米公開が間近に迫っているが、イギリスの自動車保険サイト『Insure the Gap』が同映画シリーズ全7作を全て見直し、その映画内で実際に破壊された物品の被害総額を算出した。同サイトによると、その金額は約581億円に上るという。

その統計を詳細に調べると、169台の普通車が破損、142台の普通車が破壊され、37台のカスタム車、バス、電車、ヘリコプターなどの特殊車両が破壊された。それらに加え、51棟のビルが破損、31棟のビルが破壊され、432の物品が破損された。破壊された最も高額な車は『ワイルド・スピード SKY MISSION』に登場した約3.8億円のLykan Hypersportだった。意外なのは、主人公側の破損総額が約363億円であるのに対し、悪役側が220億円と、より少なかったことだろう。

 引用元

映画ワイルド・スピードシリーズ7作内での、物損の被害総額は581億円以上 | HYPEBEAST

 

もう言葉がでません。そんな数字ですよね

 

ではやっと本題に。。。

 

ワイルドスピード8に対する思い

全体的にまとまっててスッキリしました。

前半戦に巻き散らかした種をしっかり回収していて十分楽しめました。

アメリカがやっとキューバと国交回復し、その勢いでこの映画の始まりがキューバなのです。やはり時代のトレンドをしっかり押さえてくるのはさすがだと思いました。

そしてやはり前作のブライアンの死をどう描くかというところが僕の一番の注目ポイントでした。

そのつながりがなぜドレットが裏切ったのかとオチにつながっていくのです。

少し無理をしている設定かと少し思ってしまいますが、まとまっていたのでそんなに気にするところではないかと思います。

 

ファミリーの危機になったときある一人がブライアンに助けを呼ぼうと提案しますが、彼の生活があるからだめだと却下されていました。その際に心の中で勝手に突っ込んでしましたが、あのオチを見るとなんともいえない気持ちになります。

 

そしてこのブログ毎回触れるのが、監督です。今作実はこのシリーズ初の黒人の方が監督を務めています。

Fゲイリーグレイという方なのですが、この監督ご存じない方の方が多いのかもしません。

彼の前作straight outta Comptonは本当に僕の好きな作品なのです。

ラップを聞く方はご存じでしょうがNWAという伝説のラッパー集団の伝記映画を作っています。

beatsやEminemのプロデュースなどを手掛けているDr.DreはこのNWAの出身の方ですね。

僕はラップが結構好きなので、この映画のリズム感や方向性がとても映画の創作性とNWAの音楽の方向性があっていて、監督の手腕が目立っていましたね!

 

その勢いがこの新作ワイルドスピードにそのまま反映されていました。

 

 

そして最後に怒っています。

実はこの作品には関係ありません。この映画の公開記念で公開日に金曜ロードショーで某テレビ局が前作のワイルドスピード7を放送しました。

その際に最後の大事なシーンを時間の関係上、割愛していました。

やはりネットで物議を呼び、炎上しました。

僕も彼らの意見に全くの同意です。

前作の最高の出来といっても過言ではない最後のシーンをカットは本当に最悪です。映画を放送する権利などないと思っております。もう言葉が出なくなり、悲しいです。

 

一映画のファンとして、映画製作者に敬意を見せるということを放送側として少しでも考えたら、あのような悲劇は防げたと思っております。

さらにあの映画に関して言えば、重要なポストの俳優が撮影中に亡くなり、最後に映画で黙とうを捧げる、

For Paulと。

俳優としてこれほど名誉なことはなく、映画丸々一本を一人の俳優に捧げる行為自体一ファンとしてうれしい限りです。

彼ら映画製作者として、俳優として、僕らファンとして敬意を示すという意味でのあの演出に配慮してほしかったです。

 

映画を見る人にとって映画の製作者に少なからず敬意の意を込めることは僕は必要であると思います。

もう少し彼らの立場で物事をとらえてほしいものです。

彼らにとって映画というものは息子同様であり、命を懸けて作るものです。

その魂にそんな演出をされたらどう思うのでしょうか。

See You Again とともに俳優ポールウォーカーに敬意を示したかった。

そんな思いと同時に今の日本の映画に対する対応に悲しみがこみ上げてきました。

 

 

最後にこれはあくまで僕個人の意見です。

以上です。

 

映画「メッセージ」が観客に送る「メッセージ」とは? (あらすじ感想)

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©Paramount Pictures
こんちくわ!Shygonです!
今回は本を原作に映画化された
「メッセージ」
について熱く語ります!
2016年に製作された本作は中華系アメリカ人のテッド・チャンの本を原作に、言語学者が突如地球に現れた宇宙人と会話を試みるSF映画です。
 

サクッとあらすじ

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©Paramount Pictures
ある日突然宇宙人が世界計12カ所に上陸します。
そこで彼の伝えるメッセージを解読するために娘をなくしたばかりの女性言語学者に委託し、事件解説に走るのです。
男性物理学者も同行し、理論的に協力していくのです。同時に世界に混乱をもたらし、市民が暴走をはじめついには国レベルで武力行使で排除しようとし始めるのです。
しかし、主人公ただ一人はそれを信じようとせず文字の解明に突っ走るのでありました。
 

本編に登場する重要な言葉

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©Paramount Pictures

僕は映画にチラホラ出てくる様々なキーワードが重要かと思います。

 回顧録の意味とは?

この映画はじめに娘をなくし、悲しみにくれているところから始まります。その後解読に努めますが、それに娘との楽しかった記憶が回顧録として無造作に物語に組み込まれるのです。
 
ココがまず注目すべき点です。
なぜ一見関係のない娘との会話を彼女が解読中に流れてくるのでしょうか?

 娘ハンナの名前の由来とは?

劇中何度か娘の名前ハンナが出てきます。そして、ハンナが母親(言語学者)になんでこの名前なのかと聞いてくるのです。
そこで母親はhannahというスペルに注目します。ハンナは前から読んでも後ろから読んでもハンナと読めるのよ、と答えます。
 
ここで注目すべき点はこのくだりが一回ではないということです。
なぜ強調する必要があるのでしょうか?

 宇宙人の言語体系とは?

彼らの言語は徐々に解読が進み段々わかってくるのですが、ここで様々なことが浮き彫りとなってくるのです。
  1. 彼らの言語、言葉と文字が一致しないという点です。
  2. 彼らの文字が円状になっており、どこからがはじまりでありどこがおわりかが分からないという点です。
  3. 彼らの言語が表意文字であるという点です。英語のアルファベットのようにそれだけで意味が伝わらないものではなく、日本の漢字のように文字だけで意味が伝わるもののようなことを指します。
 

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©Paramount Pictures
一体この規則が導くオチとはなんなのか、ここで暴くのではなく、映画「メッセージ」のように、謎を残したまま次に進みたいと思います。

「メッセージ」の裏事情

 監督

監督を務めたのはドゥニ・ヴィルヌーブでこれまで「ボーダーライン」「ブレードランナー」の35年ぶりの続編「ブレードランナー2049」で監督を務め高い評価を受けています。「ブレードランナー2049」ではSF映画ながらアカデミー賞では2部門受賞しました。
 
 
彼の撮る作品はアクションやSFに出やすい陳腐さがなく妙に臨場感があるのです。ですが、現実過ぎた領域ではないのであくまで映画として描くのです。
これは僕の見解ですが現実離れしたSF的世界と日常生活の2つがあるとしたら彼の世界観は若干SF的世界ではありますが、きちんと日常の世界観を描くことも忘れてはいないのです。
 
今は亡き映画監督スタンリー・キューブリックのカメラワークソックリと感じてしまったのは僕だけでしょうか。彼の世界観でなぜか湧き出てくる臨場感の謎がやっと解けた気がしてます。
絵の容量と同じで奥に視点を一点構え、左右対称なので、奥に引き込まれていくのです。その不気味な状態からカメラが逃げてくれず、留まるのです。このカメラワークが見事功を成し、あの臨場感が出来上がっています。

 音楽家

次は音楽家です。これは「ボーダー・ライン」のときと同じ人でしたが、音楽家ヨハン・ヨハンソンはもう亡くなってしまいましたが僕の好みの音楽家です。
クラシック音楽を貫き、臨場感を引き出す低音のビート音と、希望や次の展開を予期するかのような高音が一度になり響き、映画に厚みを持たせるのです。
絶妙な両者の調和がこの映画の最大の魅力と言っても過言ではないのです。そして、最後にこの映画のメッセージとはなんなのでしょうか。
 

衝撃的な結末へ

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©Paramount Pictures

 
(ネタバレが含まれます。)
 
実はこの映画過去の回想として出てくる娘との回顧録が実は未来の話であったというオチになっているのです。
 
これには仰天ですよ!
 
これだから映画はやめられないんです。たまにくる魂にぐんとくるあの感じ、あれこそが映画の魅力であり、Movie Magicなのです。
 
ただ、単に未来の話でした〜というクソ映画ではないんです。上記のように曇天返し映画に数学的な理論が付け加えられていると言ったのはこのことなんです。
このオチを知ると上記の疑問がほぼ解決できるのです。劇中に突然でてくる彼女らの回顧録は宇宙人が伝達の手段として、主人公に特殊能力として与え解読の手助けをします。そして、娘の名前のハンナと宇宙人の言語が自然と繋がってきます。
 
つまり、彼らの生態、言語には時系列が存在しないということになります。ハンナのくだりを何度も流したのも、文字が円状で始まりと終わりが分からなくなっている文字系列も全て最後のオチに繋がっていく鍵であるのです。
そして最後に宇宙人の言語が表意文字であるのは作者が関係していると考えられるようです。原作者のデッド・チャンは中華系アメリカ人であり、彼が中国語、日本語などと英語との違いをこの作品に反映したらしいです。
そして、数学的な理論と僕が書いていますが、それは原作者が理数系を大学で先行していたこともあり、在学中のある理論を元に執筆したようです。そのため作品の全ての箇所に納得がいくのはそのためでしょう。
 

 どう評価するべきなのか?

本作をどう評価するか、一言で実に難しいです。
最後のオチがとんでもないことになっている曇天返し映画なのです。1990年代からでこのような部類の映画が数多く見られるようになりましたが、他の曇天返し映画は一回では気持ちがスッキリしなくても、なんとなく気持ちが晴れるオチが人々を虜にしますよね!?
 
本作はその曇天返し映画にガツガツな数学的な理論が重なったようなイメージなのです。それが難しい理由です。
いままでの曇天返し映画はガイ・リッチー監督作品のような人の勘違い系や、ちょっとしたシュールな人々の関係のズレを描き、最後に一気に落とされるような感覚の映画が多数を占めます。
なので、それらの曇天返し映画は現実世界かつSF要素は禁物でした。ですが本作は数学的な理論を付け加えることでSF的要素を加えた曇天返し映画が完成するのです。
いま思い出したものを上げると「ユージュアル・サスペクツ」、「ロック・ストック・ツー・バレルズ」、「スナッチ」、「マチスティックメン」などの人間関係のゴタゴタで起こるハプニングにはない曇天返しが映画「メッセージ」にはあるのです。
 
本作の原作者が持つ数学的観点からの設定付けと中華系ならではのバックグランドが上手く本作を引き立て、全く予想できない展開を生んだのですね!
 びぇ!