映画「東京暮色」あらすじ感想:泥沼な家族関係を どんよりした日本社会に投影する小津作品とは!?
こんちくわ!Shygonです!
サクッとあらすじ
杉山周吉は銀行に勤め、男手一つで子供達を育ててきた。ところが、姉の孝子(原節子)が夫との折り合いが悪くて幼い娘を連れて実家に戻ってくる。
妹の明子は短期大学を出たばかりだが、遊び人の川口らと付き合うようになり、その中の一人である木村(田浦正巳)と肉体関係を持ち、彼の子を身籠ってしまう。
木村は明子を避けるようになり明子は彼を捜して街をさまよう。中絶費用を用立てするため、明子は叔母の重子(杉村春子)に理由を言わずに金を借りようとするが断られ、重子からこれを聞いた周吉はいぶかしく思しまい‥
引用元Wikipedia(東京暮色 - Wikipedia)
1957年に製作された本作は普段の小津映画にはない珍しい特徴が何点かあるのです。本作の深い散策の前にいくつか製作上の観点からいくつかご紹介したいと思います。
小津映画最後の白黒映画!
基本的に小津安二郎という監督は勤勉なのです。なので、監督として軌道に乗り始めるとほぼ一年に1回のペースで新作を発表するのです。
この作品まで様々な名作を世に送り出してきたわけですが、今作を最後に白黒映画の製作をやめ、カラー映画へと方向転換をするのです。
そんな彼の従来の白黒映画への情熱が垣間見れる最後の作品ということで小津映画を語る上でとても貴重な映画なのです。
全編通して内容が暗すぎる
小津映画の醍醐味として家族にスポットを当て、日本の庶民を映し出すのに長けていますが、
この作品は本当に内容も何もかもすべてが暗いのです。
いままで家族の温かみなどを描いてきた彼にはとても珍しい作品です。なので、共同脚本家と政策上何度も喧嘩が勃発したそうです。このくらい作風は前作の早春からそのような兆候が見られ、僕は彼の中でも
「闇期」
と勝手に読んでいます。
大女優が出演し、唯一の失敗作(と言われる)
世界のクロサワこと黒澤明監督の作品など戦後を代表する大女優 山田五十鈴が小津作品の中で唯一出演しています。
大女優ということもあり、彼女の演技がこの作品に厚みを持たせ、さらに暗い雰囲気の映画になったのです。
今までほんわかした家族物語を描いてきた小津にとって上記に示したように初めての試みになるわけです。
そのせいか、小津作品の中でも軒並み評価の低い作品となっています。ですが、僕はあまりそうは思わないのです。ではなぜなのか、それをこれから語っていきます。
東京暮色を語る!
(ネタバレが含まれます。)
父を演じる笠智衆と娘の原節子という位置づけはいつもと変わりませんが、この二人の家族の物語ではないのが本作の特徴なのです。
原節子の妹役の有馬稲子を主に家族が移り行く様を描いています。本作がほんわかした家族物語ではないというのは妹がトラブルメーカーであり、その度に父と姉を困らせます。
はじめにチンピラ男の子供をお腹に宿してしまった妹は中絶費用を得るため、二人に隠しながら奔走します。それが解決したと思わせると妹は自分は父の子供ではないのではないかと疑い始めるのです。
母が誰であるのかということは妹だけには語られていなかったが、近くにある麻雀荘の女将さんでした。そして、彼女の思惑通り育ての父親は実父ではなかったのです。母親は父(笠智衆)が転勤中、子供を身ごもり家を出て行ったのでした。
普段は家の中では一目置かれている父が久しぶりにお酒に飲まれるシーンがありましたが、母が家を出て行ったとききっとそれを忘れるためにお酒に飲まれていたのでしょう。
そんなつらい父の経験を子供ながらに覚えている姉は絶対母を最後まで許すことなかったのです。最後に自分の真実を知ってしまった妹は死んでしまい、家族として収束のめどがつかないことになってしまい、その責任を重く受け取った母は故郷北海道に戻る決意をします。
そして戻る最後の晩に妹へ花を送りに行くが、姉に突き返されてしまうのです。
そんな中北海道へ出発する電車の中で
かすかに子供のお迎えを待つ母。
しかしそこには彼女は来るはずもなく、それを知りつつも電車の窓を開け、顔を乗り出し、持っているのです。
そんな空しい母には心に大きな穴が開いたような虚無感が漂っていたのです。
はじめから暗い話で心にずっしり乗っかる重い話ではありましたが、言葉では表すことのできない、やるせない気持ちがじんわりとエンドロールとともに感じます。
よく小津映画に対して感情を描くのが下手という人がいます。僕個人の意見としてはそんなのは真っ向から反対です。
ふつうに感情を自由自在にコントロールし、感情の変化がもろに出ているとします、すると小津安二郎が描きたかった日本の風情ある情緒や家族というものをローポジションで描く小津調の良さがでないと思います。
笠智衆のような坦々と一瞬無感情のようにみえる父親の内から湧き出てくる視覚だけでは感じ取ることのできない日本古来の家族体系の美化は決してできません。
そしてこの作品に関してはその一見無頓着な父が怒りをあらわにし、父親の威厳が損なわれる場面がいくつか表現されています。
暗い作品ではありますがこれこそが日本の庶民家族の真相であり、すべてなのかもしれません。
びぇ!
映画「早春」あらすじ感想:普段家族の温まりを描く小津監督が男女の闇に斬り込む!
こんちくわ!Shygonです!
今回は日本人として知っておかなければならない監督
小津安二郎
彼はその後の映画界において絶大なる影響をもたらした数少ない映画人のひとりです。彼は日本の庶民を風情ある家族ドラマに仕上げ、かつ彼ら家族の感情を情緒豊かに表現します。
そして今回は作品「早春」をご紹介します。
サクッとあらすじ
東京蒲田の住宅地に暮らし、丸の内のオフィスに通勤するサラリーマン正二と昌子は共働きの夫婦であるが、子供を疫痢で失って以来、お互いにしっくりいかないものを感じていた。
そんな中、正二は通勤仲間の1人である「キンギョ」こと金子千代と、成り行きから一夜を共にしてしまう。2人の仲にただならぬものを感じた昌子は、正二を責めて家を出ていく。
引用元Wikipedia(早春 (映画) - Wikipedia)
1956年に製作されたこの作品は小津映画恒例の原節子が出演していない唯一の作品となっています。
ですが、他の笠智衆や杉村春子は端役ではありますが、出演しています。ではなぜこの作品のみ原節子は出演していなかったのでしょうか?
はじめにその背景から説明しましょう。
原節子はなぜ出ていないのか?
原節子は昭和の大スターとしてほとんどの小津映画に参加しています。なので小津安二郎が映画界に名を残すことができたのは紛れもなく彼女のおかげなのです。
しかし、早春はその原節子が出演しないのが映画自体の大きな味噌をなってくるわけです。
「君の名は」のヒットの影響
1950年代初頭にTVドラマと映画を通してスターダムに乗り上がった女優岸恵子が本作では起用されました。
本作でも彼女の良さが全面に表現されていますが、原節子とはタイプの違う女優なのです。映画製作者としてその当時のトレンドを取り込むのも重要と考えたのかもしれません。
アニメ「君の名は」ではないですよ!
役柄と原節子の印象の相違
原節子といえば「永遠の処女」と死ぬまで言われるほどイメージが良い人であり清楚なのです。しかし、本作は不倫に走ってしまったある夫婦の関係の再構築を描いているため
いつもの小津作品ではない方向のものを作ろうとした本作には岸恵子はぴったりだったのです。
岸恵子が悪役の方があっていると言っているのではなく、彼女の雰囲気と本作が求める女性像があっていたのかもしれません。なお彼女の魅力で後に記述します。
「早春」を熱く語る!
職場ではある程度信頼を得ている正二(スギと映画では呼ばれていた)は通勤するときの電車が一緒であるという理由で電車仲間が数人いました。
そこの仲間たちで時々どこかに遊びに行くほど仲が良かったのです。
ある日のハイキングの夜キンギョと呼ばれる魅力的な女性と一夜を共にしてしまいます。自分には妻がいて、禁断の恋とわかっていてもそれにドップリ使ってしまいます。
そこでキンギョを演じるのが岸恵子なのです。
彼女は男にとってやみつきになりそうな中毒性のある女性なのです。そして一見性格がサラッとしているためつい妻持ちの男でもハマってしまうのです。
しかし、女の勘はこの時代から無視はできないのです。隠し事は必ずバレる、ましてや嘘の付けない男がいくらがんばっても無理なのです。
妻にバレますが、彼女はあえて泳がすのです。今のように女性が簡単に不倫を立証し世の中で生きていけるような時代ではないため彼女自身悩むのです。
最終的に耐えられなくなり、真実を語り数週間頭を冷やすため実家に帰ることになるのです。そこでスギ(夫)は事態を重く見るようになります。
丁度その時期に転勤の話が舞い込んでくると彼は苦渋の決断の末行くことを決めました。行くと決めても妻は家に一向に帰ってきません。そこで送別会やら最後の挨拶回りやらをしますが、妻のことで頭はいっぱいなのです。
ようこそ小津ワールドへ
この映画は小津映画ならではの良さがなじみ出ていると僕は感じました。今流行しているような不倫を恋愛かのように美化し、描くことは決してせず、
当本人とその彼らを取り巻く人達が不倫というものに翻弄されている様を現実的に大胆に描き切っています。劇中の会話に出てきますが、キンギョが電車仲間に説得されるシーンにて
我が身を抓って人の痛さを知れ
というように様々な障害が2人に積み重なるのです。
不倫というテーマなので、この話は家族の垣根を超え、職場まで関係する話しなため小津作品には大変珍しい家族会話のほかに職場でも会話も映し出され、家族の話と職場の話題が交互に語られるのです。
そして彼の作品では現実社会の投影もしっかりこの映画にも施されており、不倫というものが家族という、いままで小津自身が描いていた温かい家族ドラマを翻弄し、一大事へと変わるかが身に浸みて実感できるのです。
さらに女性の立場がまだ低いということも関係し、現代に見るからこそまた考えさせられる作品となっていました。
びぇ!
映画「東京物語」 感想:いまだに世界中方愛される小津映画の代表作の魅力とは? [ネタバレ&解説]
こんちくわ!Shygonです!
今回は日本人として絶対知っておかなければならない監督
小津安二郎
彼はその後の映画界において絶大なる影響をもたらした数少ない映画人のひとりです。
彼は日本の庶民を風情ある家族ドラマに仕上げ、かつ彼ら家族の感情を情緒豊かに表現します。そして今回は彼の作品の中でも一番有名であり、今でも世界中から評価されている東京物語をご紹介します。
1953年に製作された本作は大女優原節子が紀子を演じた紀子三部作の中でも一番最後の集大成となり、高度経済成長を背景に日本の家族体系が変化する様を描いています。
サクッとあらすじ
尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に出掛ける。東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。
寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。
周吉ととみは、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったがそれでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。
ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届き‥?
引用元Wikipedia(東京物語 - Wikipedia)
この作品とにかく世界中の映画人が絶賛しています。日本を代表する監督といえば黒澤明の名が挙がってくるが、この人は彼より前に早くも自分のスタイルを確立し、
日本人とは? に答えた作品
四季があり、伝統的な日本文化をこれほど正確にかつ魅力的に語る監督として彼の右にでる者は今現在いないと僕は思います。
そんななかでも東京物語はそんな彼の特徴が抜きん出て表現されています。彼の作品のほとんどはいわゆる映画の華がありません。
ただただ全編を通して家族のこじんまりした会話が続きます。しかし、その会話こそが小津映画の魅力であり、彼が映画を通して伝えたいメッセージでもあるのです。
そして話に厚みを持たせるために特殊な人に焦点を当てるのではなく、その当時の日本の一般家庭を描くことこそが日本を忠実にかつ魅力的に描き出せると彼は考えたのです。
東京物語と高度経済成長
この作品、実は当時の日本の歴史的背景を重ね合わせてみると魅力が倍増するのです。あの当時高度経済成長を期に若者が仕事を求めて都会に出ていくようになりました。
この家族もその例外ではなく、子供は成人すると都会へ出ていくのでした。すると子供はどんどん親元を離れ始めるのです。これが核家族の始まりです。
尾道という穏やかな田舎に住む老人と時代の最先端を行く東京に身を置く若者を対比的に描くことで、日本の時代の家族体系の移り変わりを現実的にを映します。
時代の変化と家族の変化
母が亡くなり里帰りしてきた子供たちは葬式が終わると早速母からの形見をもらおうとしたり、その日に帰ろうとする姿を見た嫁入り前の末っ子京子が憤慨し、それを紀子に訴えるシーンが最後の方にありました。
紀子は兄姉の母に対する対応に怒っている京子に対して、みんな年をとるとそうなる、今は私(紀子)も京子に賛成だけれども、年をとると彼らのようになるのだと返答したのです。彼女は彼らを決して非難することがなかったのです。
本作におけるの紀子の位置付けについて触れておきたいと思います。というのはこの映画、家族の話であるのに紀子は出てくる家族と直接血が繋がっていないのです。
しかし僕はここに小津映画の魅力が詰まっていると思います。あえて主要人物を家族の人間ではない人が加わるとその当時の家族像というものを
主観的にかつ客観的に描くことができるのではないかと思います。
最後のシーンにて父は子供ではない紀子に母の形見である時計を挙げるのです。そこに紀子と義父の間の友情を感じ、ほんわかする思いを感じるのです。
過激なアクションや、映画の王道芸を少しも描かず家族像を描くことのみに重点を置き、家族をひたすら描き続ける小津安二郎。僕はそんなに彼について知っているわけではないが、
家族物語以外に必要のない全ての観点を捨てて、家族内の感情や時代に翻弄される彼らの姿を描くことを貫いた映画
「東京物語」
そんな頂点を極めたこの作品ほど映画として完成後が高いものは他にどれほど世の中に存在するのであろうか。
父と娘と彼らを取り巻く家族ドラマ、晩春は僕の大のお気に入り作品であるが、この作品もこれに匹敵するくらいの見た後に心にズンと圧し掛かる「何か」を僕は感じたのであった。
びぇ!
追悼ロジャームーアという俳優が歩んだ道を振り返る![考察と解説]
こんちくわ!Shygonです!
今回は突如俳優ロジャームーアが亡くなったということで、
彼の人生を振り返り、彼が映画界にもたらしたことなどを熱く語ります!
緊急企画ロジャームーアとは
この方はなんつたってジェームズボンドを演じたことで一躍スターダムにのし上がり世界的な知名度をものにしました。
1927年にイギリスで生まれたロジャームーアは終戦とともに除隊し、映画界に飛び込みました。
長い下積み生活を過ごし、ついに50年代初頭に大手映画会社と契約を果たすのです。
その後は俳優としてトントン拍子で一歩ずつスターへの階段を上っていきます。
有名になる俳優にありがちなドラック、女などのスキャンダルに見舞われることなく、とても珍しい健全な俳優でもあります。
007ジェームズボンド
1962年にはじめて映画化された後は様々な俳優が主人公ジェームズボンドを演じるたびに大きなニュースとなっていました。イギリス出身のイアンフレミングの推理小説が元となっており、最近では小説にはなかった経歴を映画で新しく語られることもあります。
このジェームズボンドは初代ボンドを演じたショーンコネリーに今でもスポットが当てられがちです。
確かにコネリーは偉大な俳優でこの007映画をシリーズ化するほどにまで育てた立役者です。しかし、僕はこのロジャームーアがいなかったら現代のように大人気シリーズにはならなかったと思っています。
初代ボンドを演じたショーンコネリーがボンドを引退したとき問題は起こったのです。コネリー=ボンドという一般的な常識がファンから離れず、2代目は大失敗に終わるのです。
その後コネリー復活を望む声の推薦もあり、1作のみの復活もしました。ですが、当時はコネリーがいなくなった瞬間007は終わりな状態でした。
そこで新しい風をボンド映画に吹き込んだのが俳優ロジャームーアでした。
コネリーは007として堅実に任務をこなし、時折スパイスの効いたジョークを言いつつもしっかり仕事はこなす、いわゆるエリートです。
しかし、そんなコネリーボンドとは一転し、
ムーアが演じたボンドはとても甘いマスクで女性と遊んでばかりなのです。
もちろんコネリー時代からボンドガールといわれるほど美しい女性はボンド映画には必要不可欠でした。
でもムーアはエリートではあるが、基本的に女性には目がなく、仕事をほっぽらかし、女性の尻をひたすら追っかけまくるのです。
そのムーアのボンド像は今でも受け継がれており、現在ボンドを演じているダニエルクレイグにもその兆候が垣間見れますよね。
そんな低迷していたボンドに新たなテイストをつけたし、世界的な人気シリーズに仕立て上げた俳優ロジャームーア。
その功が成し、今までにボンド映画7本出演と最多記録を保持しています。
ロジャームーアという人間は89歳でその人生の幕は閉じましたが、彼の生きた功績、映画界に与えた影響はこれからも、これからもスクリーン上で生き続けるのです。
そんな彼に黙とう。
びぇ!
映画「晩春」あらすじ感想:嫁入り前の娘と父親の家族物語
こんちくわ!Shygonです!
サクッとあらすじ
早くに妻を亡くし、それ以来娘の紀子に面倒をかけてきた大学教授の曾宮周吉は、紀子が婚期を逃しつつあることが気がかりでならない。妹マサの持ってきた縁談を承諾した紀子は、周吉と京都旅行に出かけ再度心が揺れるが、周吉に説得されて結婚を決意する。紀子が嫁いだ晩、一人家に残る心を決めた周吉は、人知れず孤独の涙を流す。
お見合い結婚にかける思い
映画「大人の見る繪本 生まれてみたけれど」感想:初期頃のサイレント映画 ここから小津安二郎の伝説ははじまった!?
サクッとあらすじ
良一、啓二のお父さんは、重役の岩崎の近くに引っ越して出世のチャンスをうかがっている。だが、兄弟の前では厳格そのもの。引っ越しで転校した兄弟は早速地元の悪ガキグループと喧嘩した揚句、鬱陶しくなって小学校をずる休みするも担任の家庭訪問で知られ、二人は父さんから大目玉。そのうち悪ガキ仲間と友達になり一緒に遊ぶようになる。その中には岩崎の子供もいる。ある日、みんなで「うちの父ちゃんが一番えらい」と自慢する話が出る。兄弟も自分の父親が一番えらいと信じて疑わなかったが‥Wikipediaより引用
戦後の子供を切り取る
新作ワイスピ8語る!+ 前作の地上波初上陸の際の炎上語る![考察と解説]
こんちくわ!Shygonです!
今回は新作ワイルドスピードを熱く語ります!
この映画に関してはアクション映画ということもあり、僕がなにかを語るというのではなく、裏事情や、関連性のある話を語ります!
基本情報から、ワイルドスピードは2001年頃から始まるシリーズ作となっています。今作は8作目で、ほかのシリーズ作品などではよくある、路線変更や、失敗した前作をなかったことにするなど荒手な製作志向がないのが魅力的ですね。
一部時系列がずれているところがいりますが、公開されるたびに前作のスケールを超えてくるモンスター映画になっています。
前作スカイミッションについては車を飛行機から実際に落下させ、今作ではビルの上から滝のように車を落とし、ぶっ壊すシーンなどファンから見れば最高なのです。
今作に関して言えば専門家によると
シリーズ第8作目にあたる『ワイルド・スピード ICE BREAK』の全米公開が間近に迫っているが、イギリスの自動車保険サイト『Insure the Gap』が同映画シリーズ全7作を全て見直し、その映画内で実際に破壊された物品の被害総額を算出した。同サイトによると、その金額は約581億円に上るという。
その統計を詳細に調べると、169台の普通車が破損、142台の普通車が破壊され、37台のカスタム車、バス、電車、ヘリコプターなどの特殊車両が破壊された。それらに加え、51棟のビルが破損、31棟のビルが破壊され、432の物品が破損された。破壊された最も高額な車は『ワイルド・スピード SKY MISSION』に登場した約3.8億円のLykan Hypersportだった。意外なのは、主人公側の破損総額が約363億円であるのに対し、悪役側が220億円と、より少なかったことだろう。
引用元
映画ワイルド・スピードシリーズ7作内での、物損の被害総額は581億円以上 | HYPEBEAST
もう言葉がでません。そんな数字ですよね
ではやっと本題に。。。
ワイルドスピード8に対する思い
全体的にまとまっててスッキリしました。
前半戦に巻き散らかした種をしっかり回収していて十分楽しめました。
アメリカがやっとキューバと国交回復し、その勢いでこの映画の始まりがキューバなのです。やはり時代のトレンドをしっかり押さえてくるのはさすがだと思いました。
そしてやはり前作のブライアンの死をどう描くかというところが僕の一番の注目ポイントでした。
そのつながりがなぜドレットが裏切ったのかとオチにつながっていくのです。
少し無理をしている設定かと少し思ってしまいますが、まとまっていたのでそんなに気にするところではないかと思います。
ファミリーの危機になったときある一人がブライアンに助けを呼ぼうと提案しますが、彼の生活があるからだめだと却下されていました。その際に心の中で勝手に突っ込んでしましたが、あのオチを見るとなんともいえない気持ちになります。
そしてこのブログ毎回触れるのが、監督です。今作実はこのシリーズ初の黒人の方が監督を務めています。
Fゲイリーグレイという方なのですが、この監督ご存じない方の方が多いのかもしません。
彼の前作straight outta Comptonは本当に僕の好きな作品なのです。
ラップを聞く方はご存じでしょうがNWAという伝説のラッパー集団の伝記映画を作っています。
beatsやEminemのプロデュースなどを手掛けているDr.DreはこのNWAの出身の方ですね。
僕はラップが結構好きなので、この映画のリズム感や方向性がとても映画の創作性とNWAの音楽の方向性があっていて、監督の手腕が目立っていましたね!
その勢いがこの新作ワイルドスピードにそのまま反映されていました。
そして最後に怒っています。
実はこの作品には関係ありません。この映画の公開記念で公開日に金曜ロードショーで某テレビ局が前作のワイルドスピード7を放送しました。
その際に最後の大事なシーンを時間の関係上、割愛していました。
やはりネットで物議を呼び、炎上しました。
僕も彼らの意見に全くの同意です。
前作の最高の出来といっても過言ではない最後のシーンをカットは本当に最悪です。映画を放送する権利などないと思っております。もう言葉が出なくなり、悲しいです。
一映画のファンとして、映画製作者に敬意を見せるということを放送側として少しでも考えたら、あのような悲劇は防げたと思っております。
さらにあの映画に関して言えば、重要なポストの俳優が撮影中に亡くなり、最後に映画で黙とうを捧げる、
For Paulと。
俳優としてこれほど名誉なことはなく、映画丸々一本を一人の俳優に捧げる行為自体一ファンとしてうれしい限りです。
彼ら映画製作者として、俳優として、僕らファンとして敬意を示すという意味でのあの演出に配慮してほしかったです。
映画を見る人にとって映画の製作者に少なからず敬意の意を込めることは僕は必要であると思います。
もう少し彼らの立場で物事をとらえてほしいものです。
彼らにとって映画というものは息子同様であり、命を懸けて作るものです。
その魂にそんな演出をされたらどう思うのでしょうか。
See You Again とともに俳優ポールウォーカーに敬意を示したかった。
そんな思いと同時に今の日本の映画に対する対応に悲しみがこみ上げてきました。
最後にこれはあくまで僕個人の意見です。
以上です。
映画「メッセージ」が観客に送る「メッセージ」とは? (あらすじ感想)
サクッとあらすじ
本編に登場する重要な言葉
僕は映画にチラホラ出てくる様々なキーワードが重要かと思います。
回顧録の意味とは?
娘ハンナの名前の由来とは?
宇宙人の言語体系とは?
- 彼らの言語、言葉と文字が一致しないという点です。
- 彼らの文字が円状になっており、
どこからがはじまりでありどこがおわりかが分からないという点で す。 - 彼らの言語が表意文字であるという点です。
英語のアルファベットのようにそれだけで意味が伝わらないもので はなく、 日本の漢字のように文字だけで意味が伝わるもののようなことを指 します。
「メッセージ」の裏事情
監督
音楽家
衝撃的な結末へ
©Paramount Pictures
どう評価するべきなのか?
カンヌ映画祭の仕組みって!?〜各映画祭の違いとは?[解説]
こんちくわ!Shygonです。
今回は映画ではなく、ドラマでもなく、映画祭について特集します
僕自身映画祭は映画を語る上でとても重要な事であると思います。
なぜなら、これから公開されるであろう映画を選定する一種の指標にあり、この結果により映画の興行収入が変わってくるからです。
さらにその時代の旬な映画の特徴や背景をそのまま映し出しているのです。今回はその中でも世界三大映画祭に数えられ、世界で最も盛大に行われるカンヌ映画祭に焦点を当て、熱く語って言いたいと思います。最後に毎年5月の半ばに行われることもあり、予備知識として楽しんでいただければ幸いです。
毎回同様、いくつかのカテゴリーに分け、語りつくしますよ
1分でわかるカンヌの全容!?
カンヌはフランスの南地方に位置する小さな観光地、コートダジュールで行われている。(日本のカラオケチェーン、コートダジュールでピンときた方多いでしょうか)
毎年5月半ばになると世界中から映画関係者が挙って集まり、映画の売買が行われている。その年の一番早い大きな映画祭であるためそこからその年の目玉映画が出品されることが少なくない。若手映画製作者にとっては自分らの作品を世界にお披露目できる場所として、若者の登竜門として知られている。
最近ではカナダ出身の新税グザヴィエドラン監督兼俳優が世界的に知られるきっかけとなった映画祭だ。さらに映画祭としては世界最高峰の歴史を持ち、戦後直後から始まった長い歴史を持つ映画祭としても有名。同時に時代の流れとともに様々な事件に翻弄され、映画を語る上で無視することのできない催し物である。日本では有名なアカデミー賞とは大きく違い、世界中から作品が同じ土俵から評価され、カンヌの結果が今の時代を先行するくらい、常に時代の先端に位置付けられえている。
次の章で詳しく解説しよう。
カンヌの細かい仕組みとは!?
まず、選別の仕組みである。ここがほかの映画祭とは違うのだ。毎年審査員というものが変わるのである。それはカンヌ映画祭の事務員が選定し、だいたい前の年に脚光を浴びた監督が多いというのが一つの特徴である。映画という業界ということもあり、若い人はなりにくく、すでに世界的に知名度が高いクリエーターが審査員長を務める傾向にある。世界中から応募を受け、それを審査員長はじめその年の審査員たちがみんなで話あい、決めるのだ。なので、その年の審査員長がどんなタイプの映画が好きなのかで受賞してくる映画の傾向も違ってくるのである。
さらにここも他とは一味違い、投票する際に無名投票ではないということだ。例えば、アカデミー賞の際は無名投票で、毎年投票者が変わることはない。一回アカデミー賞の会員になればずっと毎年投票できるのである。
賞のカテゴリーは以下のようになっている。
パルムドール
映画祭において最高賞である。毎年、その結果によって大議論が巻き起こることが多々ある。だが、この賞を受賞した映画は他部門を受賞できないというルールが存在する。
審査員賞特別グランプリ
その名の通りである。この賞はわりと審査員長の意向が通ることが多いとされている。
後は通常通り各分野の賞が設けられている。
監督賞、女優賞、男優賞そして脚本賞である。
さらにもうひとつの面白い部門があるのだ。
ある視点部門
この部門は簡単に言うと野球でいう新人王にあたるものである。映画祭では若者に特化した、次世代の映画製作者に的を絞って評価するのはとても珍しいことである。さらにこの選定あまり映画製作の盛んではない国出身の監督も多く受賞しているということから、かなり公平かつ、本来の映画祭の意味をしっかり理解した選定になっていると僕は思い、毎年結果が楽しみなのである。
実際日本から様々な映画が出品されているが、いまだに受賞はない。
カンヌの傾向を徹底追及!
上記に示したように、様々な有名監督の登竜門であったことが世界的に知られているカンヌ映画祭。例を挙げるときりがないレベルである。
- 黒澤明:言わずとしれた世界のクロサワ。実は彼も羅生門という映画で初めて国際的に名前が知られ、世界のクロサワとまでいわれるようになったのであった。
- フランシスフォードコッポラ:名作ゴットファーザーを世に送り出した彼もカンヌで評価された監督の一人である。カンヌ自体が彼の登竜門ではないが、彼とカンヌは今でも密接な関係を保っている。
- マーティンスコセッシ:彼もまた一人。名作の域を超えたタクシードライバーをはじめて世に送り出した場所はココ、カンヌであり、彼のキャリアの原点でもあった。
このような有名監督や、特にイタリア出身の監督の受賞はカンヌでは常連である。
例えば、ヴィムベンダース、フランソワトリュフォーなども含まれる。
最後にこの話を紹介したいと思う。
世界的に有名な監督クエンティンタランティーノは2003年、カンヌ映画祭の審査員長を務めた。その祭、彼ただ一人だけ絶賛の喝采を送った映画オールドボーイ(韓国)の監督ポンジュノは彼のサポートもあり、今ではハリウッドでも撮るようになるまでの方にあったのである。
確かに映画オールドボーイは僕の本当にお気に入りの映画の中の一つである。そのような国、作風にとらわれず、評価するカンヌ映画祭はやはり時代の先を常に言っていると確信している。
毎年その年の傾向がわかる映画祭です。ぜひチェックをお願いします。
そして映画の繁栄を願うばかりです。
びぇ!
【完全保存版】Netflix「ストレンジャー・シングス」 あらすじ感想まとめ:さぁ不思議なドラクエの旅に出よう!!
こんちくわ!Shygonです!
今回はNetflix製作のSFアドベンチャー
「ストレンジャー・シングス」
について熱く語ります!
2016年にスタートした本シリーズは架空の町ホーキンスで次々に起こる怪奇現象に少年たちが立ち向かうドラマです。
Netflix製作の本シリーズはNetflixの中でも代表する大ヒットテレビシリーズで2018年にシーズン2が配信され、2019年7月4日にシーズン3が配信されました。
サクッとあらすじ
シーズン1
1980年架空の町ホーキンス。
ある日、超能力や不思議な力を研究する秘密の研究施設からあるひとりの少女が脱走する。イレブンと名付けられた彼女は強力な特殊能力を持ち、それを恐れた政府は早速彼女の捕獲に尽力を尽くす。
だが、次第に町全体に不穏が訪れ、謎の事件が多発するようになってしまう。
様々な怪奇現象が次々に起こる中、ひとりの少年が謎の失踪を遂げると物語は思いも寄らない方向に急展開するのだった‥
シーズン2
あの事件から1年後。
警官のホッパーはイレブンを政府の目から隠すために、山奥に身を潜めていた。トランス状態の母親と会い、特殊能力を持った同じ境遇の子供たちのところへ尋ねたイレブンだったが、舞台のホーキンスの危険を知る。
一方、ホーキンスでは、カリフォルニアから転校してきた少女マックスが少年らのグループに加わる。
ウィルが再び裏の世界のなにかに取り憑かれると、ホーキンスの街全体に異変がではじめ、街全体で熾烈な攻防戦となる。
ほぼ無名の製作陣が成し遂げた偉業
「ナイト・ミュージアム」や「メッセージ」で知られるショーン・レビを製作に迎え、ダフィー兄弟が監督&脚本を務め、ほぼ無名のキャストで撮影されました。
唯一有名なヴィノナ・ライダーは様々なスキャンダルから映画業界から干されていた矢先の久しぶりの大ヒット作に恵まれました。
2016年にNetflixで配信がスタートし、シーズン2が2017年に配信されました。そしてすでにシーズン3の配信も決定しました。
80年代を彷彿させる作風
本シリーズは映画ではないのに、様々な映画のオマージュがいたるところに描かれています。たとえばタイトルロールは印象的です。
あの名作「スターウォーズ」の面影を彷彿させるようなテイストはファンとしては興奮が収まりきりません。
あの文字の並び方やあの感覚などタイトルロールの出し方は「スターウォーズ」にそっくりと言えるほどその世界観からこのドラマは始まります。
そしてあの劇的な登場とともに鳴り響いてくる振動のようなドラム音、なにかを予知させる音楽が視聴者の興味を引きます。
次に本シリーズのストーリーの内容です。
成長境いの少年たちのアドベンチャーといったら名作「グーニーズ」ですよ。
まだなにもかも信じきっていたあの時代を切り取り、彼ら少年の視点から映画を描く「グーニーズ」とこのドラマには様々な共通点があります。
信憑性の低い逸話を信じ、自分なりに考えた理論や目標を達成して行こうとするあの遊び心を本シリーズでは垣間見ることができます。
さらに「スタンドバイミー」の記憶も呼び起こされます。
噂だけを頼りに4人の男の子たちがひたすら線路を旅しに行くという物語で、このように少年たちの外の世界への興味からなるプチ旅行の走り映画へのオマージュも忘れていないのです。
そんな観点から「ストレンジャー・シングス」は70、80年代の映画へのリスペクトを感じます。
本シリーズを見ていると少し気になることが多々あったのです。キャラクターがタバコを吸うシーンです。本シリーズの前半戦の時点ですでに違和感を感じていました。
なぜなら、あまりにも喫煙者が多いからです。たとえ子供が前にいても、プカプカタバコをふかすのです。
最近になりタバコに対する規制が世界的に広がり、子供達への悪影響を懸念し、映画やドラマにはほとんど登場しなくなってしまいました。
この話はとても有名ですが、例えば大人気アニメのワンピースです。大人気キャラクターのひとりのサンジはよくタバコを吸っています。
しかし、アメリカ版のアニメではアメを舐めているという風に勝手に修正されているのです。
1990年代初頭から徐々にそのような活動が米国国内で盛んになり、タバコのを吸っている登場人物が映画、ドラマ、アニメから姿を消しました。
でも本シリーズはNetflix製作ということもあり、テレビや映画館での鑑賞ではないためこのような規制なく好きなように製作できるのです。
上記で触れたオマージュを受けた作品は全て規制前時代の映画なのです。その当時はこのドラマのようにタバコを蒸すシーンが度々描かれているのです。
例えば、「スタンド・バイ・ミー」の冒頭シーンの隠れ家では、ひとりのヤンチャ坊主は子供にも関わらず、タバコをふかしていました。
これは今では絶対見ることのできないシーンの1つです。もしかすると監督はこのようなある意味無邪気な描写に憧れており、自分たちのガキの頃を思い出し、この作品作りに没頭していたのかもしれませんね。
個人的にこのようなところに映画やドラマの魅力が隠れていると思っています。
本シリーズは若い人にとってはただ面白いドラマにしかならないけど80年代に子供だった、本シリーズの監督や今は社会人の人たちにとってはあの無邪気な頃を思い出して、深い思入れがある情景ばっかりであるということです。
そして「グーニーズ」の頃に立派な大人だった人は「グーニーズ」を見たときに久しぶりに昔を懐かしみ、「ストレンジャー・シングス」では遥か遠い昔のような感覚で楽しむことができるのです。
つまり、ただ本シリーズは単に活発な子供達に焦点を当てているのではなく、子供を探し見守る親世代と無邪気な子供の両方の目線で描かれています。
上記に示した観点からこのドラマはある限定された世代のために作っているのではなく世代によって楽しみ方が違うので本当によくできたドラマだと思います。
びぇ!